松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

あめりかん、、

アメリカ人ってなぁとつくづく思う。

先日読んだ渡辺京二の、

「小さきものの近代」には、

江戸末期から明治にかけて、

アメリカに行った人たち、

偶然の海難事故で行った、

ジョンマン次郎などもそうだが、

見どころがあると思えば、

とことん親切に世話を焼く。

教育を受けさせるなど。

当時のアメリカには、

そういうことをした人がとても多かったと。

宗教関係では、

アフリカが舞台の本など読むとよく出てくる。

(これは母国はフランスだったかもしれんが。)

週に一回、教団が飛行機で送ってくる、

缶詰のソーセージや豆とコーヒーを、

それだけを食べながら、

何年も滞在し活動する人たちがいる。

(エヴェレットさんもそれ食べてたけど。)

「世界の使い方」では、

イラクだったか、そこらへんで、

アメリカ人の元気いっぱいの若者が、

夢を抱いてやってくる。

(エヴェレットさんも20代だったけど。)

可哀想な子供たちのために学校を作るといって。

(彼のいる事務所の2階は反共の政治運動の拠点…)

そんなアメリカ人は、基本的に、

やる気満々で明るく良い人なんだ。

うまくマッチすればいいけど、

お願いされてもないのに

現地の人が必ずしも望まない事を、

自分たちの価値観でやろうとしがち。

これは一つの介入だろ。

近年になるに従って、

政治的なものと文化的なもののセットで。

「自分たちには出来る!やる資格がある!」

という自信は、

何故か揺るぎない。

開拓者精神と言うのは、恐るべしで、

困難な方が良かったりする。

前に読んだのは原野を開拓して、

畑もできたりすると、

そこを捨てて、もっと奥地に行く人達がいる。

開拓することが目的になってる。

揺るぎない選民意識と開拓者魂は、

そのままで、

目的が自分たちの利益のみ、

という形になったのが、

現在の有様ではないか。

とにかく昨日今日の話ではなくて、

彼らはずっとやってる。

長年やらせて来た方もわるい。

 

この次に私はバテレンの世紀を読む予定だけど、

多分これにもキリシタンバテレンたる、

宣教師が出てくるだろう。

当時はなんせ中世だから、

日本に来ているのは、スペイン、ポルトガル

イタリア人あたり。

イエズス会フランシスコ会などの、

カトリックの人たちだ。

アメリカはまだできてないから、

アメリカ人は登場しないと思うが。笑

ただ宣教師繋がりのしりとりになるとは、

予測していなかったよ。

可愛い感じながら隅におけない、

ピダハンの人たちについては、また。