「十六夜橋」読了
十六夜橋は、面白かった。
最後の解説で、米本浩二氏が、
渡辺京二の言葉を紹介している。
「ロマネスクな物語性に富む点で、
彼女の全作品中最も古典的に、
「小説的」、と評している。
これがまさににこの通り、
私が今まで読んだものの中で、
最も小説らしい小説だと感じた。
石牟礼さんの本を読むと、
いつもこの水俣の方言の豊かさ、
優雅さにうっとりしてしまう。
尊敬や謙譲の言葉がまるくリエゾンした風で、
いかにも優しく雅である。
こう言う言葉の世界に住んでいると、
思考もそうなるのではないか。
赤ん坊は、出来上がった言語体系の中に、
生まれ出て、そこで話し始めるのだから。
優雅な言葉を話す極悪人も、
たまにはいるだろうが。笑
この本の中に長崎の町もたくさん出てくる。
私はいろんな場所を旅したいと、
常に思ってはいても、ちっとも行けてないが、
長崎は行った。
亡くなった後、
石牟礼さんを偲んで水俣に行った折に、
長崎へ回ったのである。
本を読んで知った場所が出てくれば、
もちろんイメージが掴みやすい。
大波戸の港から、私も船に乗って、
隠れキリシタンの島に渡った。
お墓に備える花の事がほんのちらっと出てきた。
花壇と見まごうほど、
綺麗に仏花の供えられた墓地。
私は長崎で原爆記念公園を訪れたが、
あの大きな像の他にも、
小さな石碑があちこちにある。
犠牲になった人の中にはいろんな人達がいて、
朝鮮から来ていたひとや、学校の学生など。
それぞれに、関係者が碑を建てている。
それらにどれも美しくみずみずしい花が、
供えてあり、
今も大事にされているんだなぁと感じた。
身内の者か地元の人か、ボランティア的な人か、
どなたがやっておられるかはわからないが。
昔からインターナショナルで、
ハイカラで華やかな長崎だが、
どことなく優しい印象はあった。