昔話
以前、何でも陰謀論で片付けるやつは、
情報の差ではなく教養の差だ、
と言ってる人がいた。
その時はそこまで言うのも傲慢じゃない?
と感じたが、少し言えるかもしれない。
知性や教養は、
学校だけで身につけるわけではない。
この前読んだ猪谷六合雄さんは、
賢さと実行力の塊だ。
彼のやったようなことを今できる人は、
少なくとも日本には、そうはいないだろ。
彼は学歴で言えば、中卒である。
あの比類ない観察力で、
あらゆるものから学び、
学び続けた人だと思う。
ある情報に接して、なんかおかしいとか、
理屈に合わないじゃないか、
とかを感じない。
あるいは、そもそも何も考えず、
自動的に受け入れ、
それ以外受け付けないのは、
やはり知性と感性の欠如かもしれない。
また情報の出所が権威筋であるから、
疑わないというなら、こんなことだ。
金時計を持った立派な服を着た人と、
ボロボロの服を着た人がいて、
ボロボロの話には耳も傾けず、
立派を信じると言うこと。
これは見かけだけで判断、
それもお金を持っている事が信頼のきめて。
これは知性的とはいえるか?
例えが昔話!なのは、
このての話が世界中で、
たくさん語り継がれてきたからである。
そして最後は、真実を語っていたのは、
ボロボロのほうというのがパターン。
昔話は教養の重要な一分野である。
知性と教養は、
一朝一夕で身につくものではないのが、
残念なところである。