松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

時計の話

新しいマークボイルの本に、

彼がさまざまなテクノロジーとともに、
時計を手放す話が出てきます。
時計の導入は、
多分に政治的なものだと、
彼は書いている。
この時に、以前読んだ、
宮本さんの話を思い出しました。
彼は夥しい数の聞き書きをしていますが、
話を聞く相手が文盲の場合、
共通点があると。
これとても印象的だったので、
以前も書いたかもしれないが。
時計を気にしない、昔話や言い伝えと、
自分の体験談の違いが曖昧であり、
物語のように話すこと。
今回、逝きしを読んで、
時間の観念は近代に属するものなのだなぁと、
つくづくわかった。
時は金なり、という格言?が、
いつ誰によって作られたものか、
知らないが、まさに近代の言葉であろう。
時は金ではない!
そして昔話と実体験の差の話は、
また別のことではなく、
時間の話と一続きである事も確信した。
その人が生きているのは、
昔話のご先祖からずっと続いた、
長いスパンの時間の流れの中である。
昔話は昔の人の体験談であるが、
彼自身の頭、こころ、体のどこかに、
しっかりと繋がった知識である。
そしてこれらを口承で受け取っている。
本人の体験談との差は、
生きているか死んでいるかの違い。
既に自分もその長い物語の一部なのだ。
4時だとか、もう1時間経ったとかと、
別の次元の時間の感覚である。
彼らは話したい事、話すべき事があるかぎり、
話し続けたと言う。