松井なつ代のやま

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明月記4

定家は、自身も歌に熱心な後鳥羽院に気に入られて、
熊野御幸に同行する。
人麻呂が持統天皇の吉野御幸に同行して、
歌を読む話は、白川先生の前期万葉論に詳しく出てくる。
この時代はまだ古代の雰囲気があり、
吉野は神聖な場所で、ここに行って天皇霊という、
神が天皇を守る力を、修復強化するという、
意図があったという。(ま、私の理解)
持統は33回も通っている。
そこで人麻呂は歌を読む。それがお仕事だから。
それ自体が一種の神事であり、
歌を詠むことは天皇の神様対策として重要なことであった。
後鳥羽院の頃は時代は下っても、
やはり神や仏にみなさんかなり熱心に祈っている。
そして、こうして歌人を引き連れていき、夜は歌の会をやる。
熊野は吉野よりもっと遠いし、もっと道は険しい。
定家は結構へとへとである。
お泊まりするところはそんな立派な宿ではなく、
ぼろっちいバンガローで寝る感じ。
21泊の長旅であった。
私は熊楠巡りの旅に参加して、熊野古道は少し歩いた。
那智の滝も見てきた。
しかしほんの一部である。
毎日毎日王子巡りをして歩くのではかなりきついと思う。
天皇は輿に乗るんだけど、
輿もそれほど乗り心地のいいものではないらしいから、
特に険しい山道など、大変と思う。
ま、この当時後鳥羽院は若いけどね。
定家は実に記憶力のいい人で、儀式の時など、
何十人もの参加者全員の、名前役職きている着物の種類色を、
すべて事細かに書き残している。
色には意味があるから、メンバーを見てその地位などの考慮して
その場にふさわしい色のものを着なければならんのだろう。
だからこういう情報も出世を願う定家には、
重要な覚え書きだったのか。
何れにしても体力記憶力表現力、
すべてにおいて我々の何倍もの能力を持って駆使している。