「動物の賢さがわかるほど人間は賢いか」3
人間凄い!の人たちは、
人だけが言葉を持っているという。
確かにそうかもしれないが、
言葉がなければ考えたりコミュケーションをとったりは、
不可能なのか。
著者は言語と認知は別物という立場であり、
私はこの考えに納得できる。
人間凄い!派が発狂する例がいっぱい出てくる。
よく犬は飼い主の心の状態を感じとるというし、
それは実感としてわかるが、
どこまで何がわかるのか。
この著者は霊長類たちといつもいっしょにいるわけだが、
自分の心の奥まで見透かされているという感覚を、
常に持つという。
一つの例。
一匹だけ窓のある部屋、その他は窓のない部屋にいる時に、
バナナと蛇のおもちゃを持って外に出る。
そしてそれぞれを隠す。
一匹は窓からずっと見ている。
その後全員を外に出すと、
もうその段階でみんなが、
彼だけが自分の知らない何かを知っている、と理解している。
そして一つはいいもの、
もう一つは悪いもののありかであることも。
こういうことが言葉を介在せずに、
瞬時に理解される。
ここでは言葉がない分、嘘をつくことが非常に難しい。
著者は共感する能力という風にも言うが、
相手の状態をよく知ることは、
危険を察知したり、子育てにおいても非常に重要で、
彼らにとってなくてはならない能力なのである。
我々はもともと少なかったこういう能力を失いつつある。
現在コミュニティ障害と気楽によく使うが、
共感力の弱い人が、社会で孤立し、
ネット上の炎上、誹謗中傷などに関わっている話も、
つい最近読んだ。
猿たちはあまりにも感覚が鋭いので、
テストをするのも非常に難しい。
鈍感な人間が思いつかないようなところで、
大きな影響が出てしまう。
要するに動物の賢さがわかるほど、
人間は賢くないのである。