「今でなければいつ」
「今でなければいつ」は、
「これが人間か」「休戦」とは違って、
事実に則った小説である。
前の二作は著者の体験を、
当時実際に見聞きした事だけに限って、
書き記したもので、戦争の情勢の実際の動きも、
噂で知る範囲の記述しかない。
今度の作品は著者がミラノの救護所にたどり着いた時、
そこで奉仕活動をしていた人物から、
聞かされた話を元に、
時間をかけた下調べを経て書かれている。
〈ユダヤ人のパルチザン〉の物語である。
おびただしいユダヤ人が収容所に入れられ、
強制労働をさせられ、あるいはガス室に送られたが、
ごく少数のユダヤ人たちは、
武器をとってナチスと戦い続け、
その中のごく少数が戦争終結の時まで生き残った。
そういう人達がミラノにたどり着くまでの、
信じられないような実際にあった話である。
著者自身も話を聞くまでそういう人達がいた事を知らず、
非常に驚くとともに強い印象を受けた。
この本は、パルチザンの仲間の女性がミラノの病院で、
赤ちゃんを出産する場面で終わる。
そしてその日、病院で医師や看護婦が頭を寄せて、
見ている新聞には、
広島に原爆が落とされたという記事が出ている。
1945年8月7日、水曜日の新聞であった。
プリーモ・レーヴィはもしアウシュビッツの体験がなければ、
どういう人生を生きていたかという、若者の質問に、
それは誰にもわからない、しかし確実に言えるのは、
作家になる事は絶対になかっただろうと答えている。
彼はアウシュビッツの体験を書き残したい、
と言う思いによって、生き延びた。
そしてその通りに、
化学者として生活しながら作家になった。
しかし、この長編の素晴らしさは、
また前作とは違うレベルである。
何れにしても、ごく稀な確率で生き延びた著者がいて、
あり得ない危険をくぐり抜けたパルチザンがいてこそ存在し得た、
奇跡的な書物であると言える。
内容はにわかに信じがたいようなものであるが、
登場する人物たちの造形はリアルで、
中身の濃さは恐るべきもの。
私も歳をとってゆっくり読むようになったせいで、
読み取るものが多かった。
世界大戦というだけあってこの戦争は、
非常に広い範囲に渡る、多くの国を巻き込んだものである。
そして、我々に馴染みのない東欧やロシアの果てにも、
ユダヤ人達はいて、すでに激しい差別にあっていた事、
そしてわずかなそれまでの持ち物、
家や仕事や家族の全てを、
ナチによって一つ残らず奪われた事。
ポーランドという国の悲惨、
イタリアという国のありよう、など、
改めて学ぶ事も多かった。
これも機会があれば是非読んで欲しい。