松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

字が大きかった本読了。

「ランスへの帰郷」読み終えました。

荷が重い本ですが、元々立派なことは書けないし、
私なりの紹介でいいと思っている。
誰がどんなきっかけで本を手に取るかわからないし、
少しでも本を読む人が増えればね。
なので少しだけ。

フランスの労働者階級の生まれでゲイの著者が、
パリの知識人の仲間入りするが、
その道筋の中で、勉強を続けるにつれて、
生まれた環境、家族たちの集団と断絶が生じていく。
嫌悪感と罪悪感。
そもそもこの凄まじい自叙伝を、
書かねばならないと思うことの凄まじさよ。
「上等の文明国」では二つの層がクロスせず、
うまく棲み分けるようにやっている。
構造は出来上がっていて、
労働者階級に生まれれば情報も進学するコースも限られ、
自動的に歩む道筋が決まる。
彼の兄が肉屋の弟子になったように。
ごく稀に優秀ゆえに道筋を外れる人がいて、
こうして初めて構造的差別の仕組みが明らかになる。
ゲイに関してはまた状況は違う。
こちらの方は物理的な暴力の危険にもさらされる。
しかし著者にとっては、
ゲイをカムアウトする方が容易かったと…

途切れる事なく苦しみが絡み合って続く様子は、
読んでいて辛い。
なぜ人間はこんなに苦しまねばならんのか。
何の役にも立たない私だが、
私に言えるのは、他の生き物に対して、
存在自体を否定するという行為や発言は、
決して許されないということ。
そういう事を言う権利は誰にもない。
今生きてあるという事が、生きていいという証拠である。
宗教じみるけど、そうとしか言えない。
何の権限があって生きているものに、
死ね殺せなどと言えるのか。
無礼者!!
ということを全ての人がはっきりと学ぶ必要がある。
どんな命も必ず死ぬが、
なるべく死なないように気をつけながら、
その時まで精一杯生きている。
生き物はみんなそうしている。

差別を容認する構造は誰かの承認欲求のために、
意図的に維持されているのだろうとは思う。

「ランスへの帰郷」ディディエ・エリボン著