承認欲求について、
以前、「無銭経済宣言」の中で著者が、
承認欲求の根深さには恐れ入る、
と書いていて、実に同感だと思ったのだが、
最近はもうこれだけ、これしか無いんだなぁとまで、
感じるようになった。
最近はセクハラのことがよく問題になるが、
訪問介護者に対する、
利用者のセクハラのニュースがあった、
それに関連して、あまりセクハラが酷いので、
担当者を男性に替えたら、
その爺さんころっと死んでしまったという話も。
セクハラも差別も全て承認欲求である。
自分は強い!どうだっ、と誇示したいという欲望である。
これは、文字通り死ぬまで残る欲求らしい。
これ程根の深いものなのなら、なくす事は不可能だから、
自分の承認欲求の為に人を貶め傷つけることは、
よく無いという共通認識を持つしかない。
これが当然だ許されると考えると、
上司のパワハラに当然だからと耐え、
自分はその部下に当然のように当たり散らし、
部下はより弱い立場の人を傷つけ、
リアルでできない人はネット上でやり、
と言うようにハラスメントは拡散し、なくなることは無い。
お金に対する無限の執着も、
承認欲求のための有効なツールだからではないか。
お金は今や絶対的な評価の基準だから。
なぜ良くないかという理由としては、
人は誰しも差別されたり征服されたりを、
望んでいないから、と言うのでどうか。
なぜ人を殺してはいけないか、と同じで、
生き物は全て、死を恐れ、殺されたくないと思っている。
だからダメなんだというのと同様の理由である。
日本人は全て(特に男は、)
自分の承認欲求の為に人を傷つける事は、
許されない行為であると知るべきである。
徹底的に違反者は非難されるべきである。