評価
自分の古い本棚から古い本を出してきた。
花田清輝の「日本のルネッサンス人」
これは彼の最後の著作らしい。
庭の本に出てきた人がまた出てきたりして、
そこがタイミング的に面白かった。
この人、博覧強記で、やけにマイナー臭い古い書物を、
うんと読んでいて、専門の、
国文学や歴史学者より場合によっては、
詳しいのではないかと思う。
しかし強気で自信家なところがちょっと嫌味っぽいの。
人と違う視点を持つことは意味があるんだけど、
自慢臭くなってしまう。
松岡正剛や加藤周一が私が嫌いなのは、
そういう感じがあるところ。
面白いんだけど好きになれない。
ものを知っているのはいいことだし、
自信があるのも悪いことではないけど。
南方熊楠はまさに博覧強記で自信家だが、
ちょっと桁が外れて馬鹿みたいなところがある。
本人は世間的な評価が低かったことを、
悔しがっていたのかなぁ。
ああ見えて宮沢賢治もかなり自信家で、
非常に評価されたいと望んではいた。
生きてるうちにはさほど有名になれなかった。
心中は複雑なものがあったのかもしれない。
そう考えると大抵の人は、
他人の評価がやはり欲しいのかもしれない。
おじろくの話じゃないけど、
全く評価されない事で、人は精彩を失っていく。
人間がそれだけ社会的な生き物だという証拠だが、
そこそこで満足することも大事だろう。
それと、他人の目ではなく、自分の目指す何かとの、
距離で評価と同様の満足を得ることも可能だ。
(作った刃物の出来栄えや高い岸壁を登りきること等)
私の好きな自由な人たちは、
そういう何かを持っていると思う。
そっちを重点的にしたほうが、
気持ちがいいんではないか。