松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

手習い3

あまり上達もしないので、
本日は出土品の尽くしのお道具を、
ご紹介します。
硯箱だけは超立派です。
硯は持っていたもの。
筆は100円と書いてあるし、墨も、
ありふれたものっぽいが、
今一番右の斜めになってるやつを使っているが、
なめらかなすり心地でよろしいです。
竹製の筆巻も発見した。

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これはなんか懐かしいです。

うさぎちゃんの経過

うさぎちゃんが怪我してから1週間である。
結構重症で、状態がなかなか変わらなかったが、
やっと足が下ろせるようになった。
昨夜は私のそばでお腹を出して熟睡していたので、
よっしゃと集中マッサージをやった。
今までもやっていたけどね、
悪い脚を下にして寝ているとうまくできない。
仰向けは具合がいいのである。
痛みのある時はあまりこすったりせず、
手を当てるだけ。
当てて、離して、を繰り返す。
血流が良くなり、熱は放出するという寸法。
ま、私がいいと思っているだけだが、
ピピンもこうやって何度も歩けるようになった、
私的に伝統的なやり方である。
こうやっているとしっとりと汗が出てくる。
犬は汗をかかないというが、毛穴から、
水分が出る。
私の手のひらも濡れる。
この時すごく手応えがあったので、
だいぶ良くなっただろうと思ったが、
今朝は実際かなり脚に力も入っているような気がする。
調子にのるといけないので、もう少し、
我慢させなければならんが。
我慢させるのも一苦労だが、
5ヶ月かかる!といううわさもあったから、
それから見れば順調と言えるんじゃないか。

宝くじ、

今日は寒い中用があって銀座方面に出かけた。
数寄屋橋のところがすごい人波で長い列ができている。
何かと思ったら、宝くじの販売らしい。
うーんと唸る。
宝くじくらいしか思いつかないのはよくわかる。
金欠病が蔓延してるもんね。
楽しみで買うのに異存はないが、
膨れに膨れたオリンピックの資金不足を補うために、
宝くじの販売が提案されているように、
あれもまた庶民の夢に乗っかって集金するシステムだ。
プラスになる人は一握りで、
ほとんど全員がマイナスになるものなんだからね。

新聞には教育無償化財源に不安と、
とても納得しかねる見出しが躍る。
生活保護費を1割削る話も。
これはいろんな給付金の基礎になるから、
実は広範囲に影響が出るやばい話である。
受給者だけの問題ではない。
しかし、こういう時だけ出てくる財源の話。
海外のバラマキや軍需予算は、
黙ってバンバン出てくるし、
大企業は400兆円の内部留保

北朝鮮が攻めてくると、
本気で言っている近所の人の話を聞いて、
愕然とする。
先制攻撃を日本にさせようとしているんじゃないか、
アメリカは。
日本人は、みんな戦争がしたいとしか思えない。
頭抱えて避難訓練しているサラリーマンの写真は、
すでに外交努力で戦争を回避する選択肢を、
捨てている感じがする。
怖いのは北朝鮮ではなく日本人である。

塩鮭のアラを買ってきたから、今夜は粕汁
私は気分は晴れないけど。

手習い事始めや

本日は私の手習いのお書き初めでござった。
てんで難しいねぇ。
王羲之先生うますぎるね。
どういう風に筆を運ぶとこのラインができるのか、
わからんとこもあるし、
まっすぐも難しいし、左のはらいも難しいし、
リズムがうまくいかないとね。
ま、まずはせっせと書いて、
慣れることや、と姉のアドバイスでした。
久しぶりに墨をすった。
いい匂いや。
出土品の、使いさしの墨と半紙と筆。
筆も安もんだけど意外に書き良いものじゃった。
なるべく短時間でも続けようかなと。

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贈与の関係

貨幣経済の世界では代金の支払いをもって、
関係は終了する。
一方贈与経済の世界では、終了という事がなくて、
関係は永遠に続くと言える。
永遠と聞くとちょっとギクッとするが、
家族というものを考えると、そうなんかなぁと思う。
お母さんは赤ちゃんにおっぱい一飲み10円ね、
とか昼のうどんは300円などと食事の代金を請求しない。
親は子どもを大概はただで雨露から守ってやり、
寒ければセーターを着せてやり、などと、
全て無料で提供する。
つまり贈与である。
そして希望の種になってもらったり、
心配の種になってくれたりするわけだが…
(基本的に贈与は見返りを求めないが)
贈与の関係を持ってしまったら最後、
縁は永遠に続く。
関係の濃淡はあるにしても、
無関係ですと言いきることは難しい。
家族の単位が非常に小さくなっている現在では、
難しさも場合によってはあるし、
逆に家族の繋がりの強さを見越して、
全てそこに押し付けるという、
政府がでてきたりするわけだが。
家族のような贈与の介在するコミュニティが、
ある程度大きいと、生きていく上で、
非常に都合がいいのではないか。

昨日はたまたま友人の息子が始めたお店に、
かっこいい今時のバルだが、
やや場違いなおばさん四人で行ってきた。
このメンバーは実は子どもの幼稚園時代のママ友である。
子どもが小さい時は、なんかあれば預かり、
おやつを食べさせ、喧嘩をすれば叱るという事を、
やってきた。
ベビーシッターのような貨幣は介在しない。
これこそ、お互いさまという贈与の関係である。
贈与の関係は長く続くというのの見本だなぁと思った。