「王のしるし」
「王のしるし」読み終えたけど、
これは今の子どもには読みきれないかなぁ。
私が最初に読んだのはもう二十歳の頃だから、
子ども時代の感想はないわけだけど、
すごく荒々しく複雑でシリアスな話である。
「第9軍団のワシ」や「ともしびをかかげて」の方が有名だけど、
やっぱり私は「王のしるし」が一番好きかもしれない。
サトクリフはともしびをかかげての前書きで書いてたけど、
(日本でもそうだけど、)イングランドでも、
この時代は歴史の教科書では1ページで終わるところ。
でもそこにも何百年という歳月があったわけです。
小さな部族集団がいくつもあって、
そこにローマ帝国が入ってくる。
やがては北からやってくるサクソン人に征服されてしまうのだが。
戦いは止まず平和な日々は長続きしなかったが、
そんな中でも人間は楽しんだり悲しんだりして生きていた。
前にも書いたかもしれないが、
どこの国のどの時代にも、賢い人愚かな人、
ずるい人小心者勇気のある人、
様々の人がいて、現在の我々とその本質は多分、
ほとんど変わらないだろうと思う。
そんな雰囲気をサトクリフは上手に描いている。
また、花や鳥、雲や風など自然の描写がたくさん織り込まれている。
(イギリスの読みものはその傾向が強いように私は思うがどうだろう。)
光や風や霧や匂いなどが実に丁寧に書かれている。
あとは犬。
サトクリフの本では軽くの場合もあるが、
必ず犬は登場し、それなりに存在感を見せる。
サトクリフは犬好きで本人も犬をいつも飼っていた。
自伝の中だったと思うが、
「どんな毛のこわい犬も耳の毛は柔らかい」というのがあって、
さすがによく知ってるなぁと感心した記憶がある。
サトクリフは二歳のときかかった病気で、
足が不自由であった。
そのため学校にも行っていない。
野山を駆け回ることもなかった。
それでどうしてこんなにリアルな世界が描けたものか、
本当に奇跡的なことである。
サトクリフは図書館にはたいてい置いてあると思う。
子どもの本と侮らず読んでみて。
破裂?
自分に降りかかる火の粉を振り払うために、
彼らは気狂いみたいになってきたね。
なんか支持率みたいな数字出るたびに、
げっそりしている人いるけど、
あんな数字こそ嘘八百だろう。
こんなに平気であちこちで嘘をいい、
インチキばかりしている人が、
世論調査だけは正直に発表してると思うのがおかしいだろう。
あまりみたいなのを不問に付してきたツケが回って、
何があってもやめない自信になってる。
メディアも警察も検察も裁判所も握っているんだから、
怖いものなしと。
アベセーケンが倒れるとしたら、
国民の怒りの爆発というより、
外圧的な、海外の投資家が一気に逃げる的な、
経済が一瞬でパンクで破裂するみたいなこと、
そういうことでしかないかもしれない。
それって全く悲惨だけど、
日本の経済はいつそれがあってもおかしくない状態で、
よくわからんがあり得るんじゃないか。
日本人はとにかく意思表示しないから。
表示するような意思がないというか…
サトクリフさいさいどくどく
また「ともしびをかかげて」を読んだ。
ローズマリーサトクリフの。
サトクリフはたくさん書いているから、
全部読んでいるわけではないが、
この初期のローマンブリテンのシリーズが一番面白い。
歴史ファンタジーとも言われるが、
このシリーズは子ども向けとは言え、
時代考証もしっかりし、人物の内面の描写も深く、
歴史小説と言えると思う。
日本語のファンタジーは、
どうにもふわふわでピンクな感じだけど、
そういうものでは全くない。
硬質で重い、もっと言えば少し暗い。
猪熊さんの訳は持ち味がぴったりあっている、
男っぽいというと変だが、キリッとシャープ。
これを読むのは多分4回目くらいだけど、
今回この挿絵の力も大きいと思った。
チャールズキーピングという人。
ファージョンとアーティゾーニ、
ケストナーとトリアーのような、
切っても切れないコンビの合わせ技一本である。
絵本は絵が主だから、
技法もタッチもなんでもありで様々だが、
読み物の挿絵は、
内容の理解を助ける意味もあるせいか、
状況描写的なものが多い。
キーピングの絵はペン画だが重い絵で、
古代ブリテンの独特な暗さを感じさせる。
そのまんまの情景というより、
かなりデザインされた構図である。
光と影の扱いが上手い。
やはりなんだかんだ言って子どもの読みものの絵は、
責任重大なもんであるなぁと改めて思う。
読みものはテキストが主ではあるが、
本という現実の形になれば、
その挿絵のイメージは無視できないものになる。
あまりに面白いから、
また何度目かの「王のしるし」にかかろうと思う。
これも私は好きだ。
かなりシリアスな部分もあり、少し怖い。
時代設定的にはシリーズの中で一番古い。
挿絵もいよいよ古代的荒々しさを帯びる。
これは1973年の初版本。
出版は時代順ではないが、
多分この本が最初に配本されたと記憶している。
万願寺の種
ここ何回か種子法のことを書いたが、
生協のチラシにこんなものが入っていた。
国産の次の年も植えられる自然な種である。
今問題になっているのは、主に穀物の種で、
野菜の種に関しては、もうすっかり、
守るのはやめている。
この前の山田元農水大臣の話では、
国内で栽培されている野菜の、9割は、
輸入された種である。
穀物は現在100パーセント国産の種。
ここをこじ開けて種を支配しようという話である。
要するに食物の自給率と言っても、
種から考えれば、すでにとても40パーセントもないということ。
我々の食はすでに、
食物メジャーの、グローバルアグリビジネスの、
手に握られている。
解体が目前の農協はこれに反対していない。
輸入種ビジネスに一口噛ませてあげようという、
下ごしらえが完了しているという見方があるが、
多分そんなところだろうと思う。
うちはもう植える場所もないのだが、
ふらふらと万願寺の種を注文してしまった。
30粒入っているらしいので、
娘の田んぼに少し植えてもらって、残りは
欲しい人はお分けします。
でんちゃん5、6粒どう?笑