松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

教養の続き

教養という言葉は最近あまり使われないのかと思うが、
頭のいい人はたくさんいても、
教養のある人は非常に少ないと感じていた。
誰かが安富先生について圧倒的教養の差、という評価をしていて、
そや教養や!と、再び思い出した。

私はコストパフォーマンスという言葉が嫌いだ。
しきりにコスパなどと使われるが、
ものの価値をコストにだけ引き付け過ぎだ。
それを合理的という事もあるが、
合理的思考や合理的判断など無いとは言わないが、
問題は当然その〈理〉の中身であろう。
いかにも理はコストにあると言わんばかりだ。
長く引き継がれてきた伝統芸能のようなものまで、
強引に入場料の儲けのようなコストの話にしてしまうのは、
余りにも無残である。
こういうことは教養があれば決してできない。
若い人が勉強するにあたっても、コスパを考えれば、
最短距離で必要科目だけを学べばいいと考えがちである。
差し当たってテストに出ない分野は盛大に切り捨てられる。
知識や体験の多様性は、ある時突然繋がって、
予想もしない化学変化を起こし、飛躍し、
より深い理解に到達する場合がある。
教養は何より人間の理解、世界の認識を深める。
教養は感受性の高さにもつながる。
どう考えても昔の人は教養があった。
本を読んでいても、
こういう知識がこんな理解に繋がってくるのかと、
驚く楽しみがあった。
今のものではこのような事がほとんど無い。
想定の範囲を出ない。
世の頭のいい人たちが考えつくことが実にけち臭い。
お粗末で浅はかで情緒がない。
(言いたい放題!笑)