松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

難しすぎる、

雉子の顔難しすぎる。

彫る前から、赤いとこがやばそうと、
思っていたが、案の定わけわからん。
昔東北に行った時、
五百羅漢を見た帰り、突然雉子が飛び出した。
あんまり綺麗でぼうっとした。
雉子も鳴かずば、というのがあるけど、
鳴こうがなくまいが、関係なく、
あのビジュアルが目立ちすぎると思った。
赤いとこ、やばい、、

続き

この男性のすごく楽しかった思い出にこういうのがある。

お正月を仲間と過ごした時、3人で釣りに行った。
チカという魚が、それも小さいのが1匹だけ釣れた。
それを持ち帰り、3人で分けてちょっとづつ食べた。
これはまるで、入院しているとできない事を、
ピックアップして繋げたようなエピソードである。
こういう楽しさが我々を幸せにしてくれる。
安心できる友達関係が病気を治す助けになる。
彼が病院を出られた事は本当に良かった。
しかし日本ではここは例外的な場所で、
今もなお多くの人が病院に閉じ込められている。
こういう試みはたいてい、
総論賛成だがうちのバックヤードで、
やらないで欲しい、と言う人々に阻止される。
イタリアではそれができて、
日本でできないと言うのは、、残念。
いろんな問題に同じ事が言える。

「治したくない ひがし町診療所の日々」
斎藤道雄著  みすず書房


「治したくない」2

私は精神障害について詳しくないが、

世の中のお医者さんもどうもよくわからないみたい。
だってこれを読むと、何より、
安心できる落ち着ける普通の生活が、
一番効くって、感じみたいだから。
症状のバリエーションも様々で、
人によってどういう状況が一番安心できるかも違うから、
サポートする人たちも、これはどうだ、
ダメならこうやってみたら、と頭をひねって考える。
大変なお仕事と思うけど、
なぜかみんな妙に楽しそうで、笑いが絶えない。
中学生の時に発症した男性の話は素晴らしい。
いろんな症状がありそれも重く、
とても退院できないと思われていた人だ。
人生のほとんどを病院で過ごした人、
しかし今は自立して、7年間入院していない。
彼が先生と話している会話が丹念に再現されている。
その中で、今は幸せかと聞かれ、
幸せだと答える。
寝て起きてちゃんと食べて顔洗って、
自分のことが自分でできること、
少しづつ考えたり悩んだりできるようになった。
それが嬉しいと。
また日本語が上手くなったとも。
彼はグループホームで、生活支援を受けながら、
他の仲間と助け合って暮らしている。
いろいろな人と関わる中で、言葉が使えるようになった。
言葉が増えれば考えること悩むことも出来てくるのだろう。
これはすごく大事で、自分で考えて自分の状況がわかると、
人に助けを求めることができるようになる。
こういう落ち着いた生活ができるようになると、
症状は出なくなるらしい。
人それぞれに合った支援をするわけだが、
先生曰く、応援する人の中にしっかりした、できる人は、
ちょっといればいい。
普通の頼りないような人がいっぱいいて、
良い支援ができる。
質より量だと!
統合失調症で妊娠した女性に対して、
彼女とまだ生まれていない赤ちゃんに、
怒涛のような支援が、
情報が入って直ぐに繰り出された様子は、
本当に見事だった。
みんなあれこれ相談したり、
先のことを考えたりもせず、
一気に即座に動く。
やがて生まれた赤ちゃんはみんなに可愛がられ、
まだ幼いその存在によって、
母親の症状を落ち着かせる力を発揮する。
先生が言いだして田んぼを借り受けて始めた、
米作りも素晴らしい。
田植え稲刈り収穫祭は地域の人にも開かれている。
精神障害のない、いわゆる健常者にも、
困難を抱えた人はたくさんいる。
先生の仕事は、地域へ、健常者へと広がっている。


「治したくない」

姉に借りたこの本をちょっとめくったら、

面白くて一気に読んでしまった。
字はでかい。
何年か前に読んだ、
「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」
という本のことを思い出す。
この本もやまで紹介したとはずと思う。
バザーリアと言うイタリア人が、
全ての精神病院をなくし、
国中の精神障害者が、
街の中で暮らすようになった。
その奮闘の記録である。
方や北海道は日赤浦河病院の川村敏明先生は、
適切な対応で徐々に入院患者が退院し、
精神科のベッドがガラ空きになる。
そして病棟そのものが閉鎖することに。
先生は浦河ひがし町診療所を開業し、
いよいよ積極的な入院しない治療体制作りを開始する。
この二人はやってることも言ってることも、
基本的に同じ。
この本の後ろの方で、著者が、
バザーリアと川村先生を比較して語る部分もある。
これはもしかして収斂進化だろうか。
知っての通り我が国精神医療の現状は、
凄まじいものである。
入院患者の数も入院期間の長さも、
他の国と比べると桁が違うダントツトップである。
社会が面倒な人は、
とりあえず目の前からいなくなって欲しいと望み、
病院経営者は利益が出るからありがたいと、
意見の一致を見た結果であり、
患者を長期に渡って閉じ込める事が、
国の政策の方針になってしまっている。

中に出てくる話はどれも面白いので次回また紹介します。


まず雉子

彫り始める前に、

横から上から下からと、すべての面に、
下書きを描く。
が、彫り始めるとたちまち下書きは消える。
この問題は、永久に改善されないのだ!
そうなると私は即座に、
3次元空間の迷子になる。
日常生活でも、
すごい頻度で迷子になるわたしだが、
迷子というものは心細いものである。
全体像が現れるまで、
うろうろふらふら彫り続けるのだ。
将来的にも、
迷子ならずまっしぐらに彫れるようになるとは、
とても思えない。

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確かに気持ち悪くなる、

ずっと、罰すること、共感の遮断などについて考えていたら、

ほんとに気持ち悪くなってしまった。
要するに私も同じなんだなぁ。
ただ違いは、
私は自分に関係があると思っているから、
考えることをやめないということかなぁ。

柘植はここでひとまずやめる。
前のと一緒にしてみると、
ちょっと有機的さの加減が違うか…
形が厳しいかもしれない。
いよいよ桃太郎の家来にかかることにする。
久々に下手くそノコギリストの登場や。

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「気持ち悪い」

世界にも連載があったから、

以前紹介したと思うが、
刑務所内の更生プログラムについての映画、
「プリズン・サークル」を撮った、
坂上氏のインタビューを読んだ。
その中に大学で講師として招かれ講義をした時の感想に、
「今日の講義は気持ち悪かった」
と一言書いた学生がいると。
ここでいう気持ち悪いという感覚は、
どういうものなのだろうかと考えていた。
生々しい現実そのものを、
個人の気持ちの揺らぎなども含めて、
受け入れたくないという拒絶の感情なのかと。
表面を取り繕って刺激を少なくした、
まがい物以外受け止められない。
リアルはキモい。
これは「暗い話は聞きたくない」のバージョンの、
一つではないか。
若者の中に、
自己責任論が広く行き渡っている状況らしいが、
これも論とかついてるけど、
そんなたいそうなものではなく、
全て本人のせいという風に突き放すことで、
現実を自分と切り離す技術なのかもしれない。
そうすればもう考えたり感じたりする必要がないから。