松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

「世界」からデトロイトの話

世界でもう一つ面白かったのはデトロイトの事。
デトロイトは市が破産して、
公共の財産をどんどん売っぱらって、
公務員が減って、公共の仕事も回らなくなり
住人はどんどん出て行って、
大変荒んだ状況になっていたわけです。
それはほんの数年前のことだったが、
なんと現在空前の活気を呈しているらしい。

若い不動産関係の実業家が、ほぼ一人で動かしている。
どんどん空きビルを買って、
手を入れて新しい起業家に貸す事業を成功させている。
街中のビルはほとんど彼の持ち物になっている。
記事では、「街はものではない」
という疑問を挟んでるけど、
この彼の場合はデトロイトの出身であり、
この街に愛着を持っているから、
一般の商売の投資では避けるような、
リスクのあることもやるという。
アメリカのメディアは好意的に書いていたりもする。
要するに郷土愛と商売の二本立てで、
都市を丸ごと手に入れてしまったというような話だ。
なかなか興味深い。
アメリカではこれとは違うが、公務員がほとんどいない、
民間企業が運営している市もある。
この場合は豊かな住民が、必要なサービスの類を、
民間の会社から買っている。
新自由主義が行き着く先は、こういう全て民間企業がやり、
公共という概念がなくなることである。

都市はものの集まりだけど物ではない、
というのもわかる気もする。
都市には人間が含まれていて、人は物ではないから。
しかし街は自然発生的にできるばかりでもない。
企業城下町というのもある。
問題はコミュニティー全体のための仕事を、
誰がどういう形でやるかである。

インデアンはそうは言わないが、
現代では土地は実際ものだからね。
サービスという言葉を使えば、
それも確かに現在ではお金で買えるものである。
コミュニティー全体のための仕事は、
サービスといえるのか。
独裁者のような個人が街の実質的な持ち主になれば、
中世の領主様と農奴みたいな状況にならないとも限らない。
やはり公共という事をどういう風にかんがえるか、
もしくは考えないか、という話になる。
意外に難しい深い問題である。