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松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

美文調でGo!

私は今まで、万葉集が一番好きで、
時代を経るにつれ、装飾的技巧的になって、
新古今和歌集なんかは魅力を感じなかった。
ところが、ここにきて、
年のせいか読んだ本の影響か、
受け止め方がずいぶん色々変わってきた。

東京新聞に毎週日曜日に、小林一彦氏の
「王朝の歌人たち」という連載があって、
気がつくと読んでいる。
今日は藤原清輔であった。
この人はお血筋も素晴らしい歌の名門の出である。
百人一首」にとられているのは、
「長らへば またこの頃やしのばれむ
憂しとみし世ぞ 今は恋しき」である。
この歌はずばり新古今和歌集
そしてこれを作ったのは20歳の時だそうだ。
何という早熟というか老成というか…
この歌は割に好きだったが、
爺さんの歌かと思っていたよ。
また別の歌に、
「今よりは更けゆくまでに月は見じ
そのこととなく涙おちけり」(千載集)
もう二度と月は見ない、
わけもなく涙が落ちてしかたないから、
という訳がついている。

このあふれんばかりのデリカシーというか、
感受性というのは、もはやキモいほどで、笑、
今の時代どこ探してもない。
どこもかしこもパッサパサやもん。
このころの人たちって、
いわゆる花鳥風月をうたうたったり、
季節の変わり目の気配などをうたにしているが、
実際、実によく見ている。
そんなのばっかり見て暇やなぁという話もあるかもしれんが、
もはや我々には感じ取れないものを感じ、
実際に泣いたり喜んだりしていたらしい。

あと能について今さらにわかったのは、
あれは当然ながら謡があってのものであるということ。
視覚的な印象は、クールで禁欲的だが、
あの曲の言葉はメチャメチャ装飾過剰や。
七五調で美しく華麗に飾り立てられている。
ずばり超ドルチェなものである。
だから謡曲をうたう快感はわかる。
しかしそれが意外やあのビジュアルとマッチして、
美しいのである。
そして思った程抽象的という訳ではない。

私的に美文調の流行がリバイバルかもしれん。
世の中がこんな風なせいも、きっとあるな。