世界の使い方、おしまい
「僕らはゆっくりとシャハナス・ストリートを戻って行った。アルメニア人地区に近づくと、いつもの夕方らしく物乞いが何人か集まり、石油の火を囲んでいた。持病に蝕まれ、身体の震えが止まらない幽霊のような老人たちだが、彼らの心に曇りはなく、陽気ですらあった。畑から掘り出した甜菜をいくつか焼き、火に手をかざし、歌っていた。イランの人々は世界一の詩人だ。タブリーズの物乞いは、恋や魔法の酒、柳にそよぐ五月の陽光を詠んだハーフェズやニザーミーの詩をいくらでも知っていた。」
お金でも健康でもなく、
歌と仲間が居れば、
人は幸せに生きていけるのか。
プリモレーヴィの今でなければ…を、
また思い出した。
ソ連軍に収容所から助け出され、
延々と列車に揺られ、
ミラノに帰る途中のこと。
夜の大平原で歌声が起こる、
その歌が、次々と、闇の中から別の歌に、
引き継がれ、合わさっていく。
これは羊飼いの歌だった。
遠く離れた場所の仲間と、
繋がることさえできる。
歌と言うのはすごいものだなぁと思う。
道具も何もいらない。
詩は、頭の中にいくらでもストックできる。
私は考えてみると、
日常的に歌を歌うことが全然ない。
鼻歌でも歌うかな。笑
本当に良い本だった。
この人の喩えのバリエーションは、
全く私好みで、
鯉のようにすまして、や、
イタチのような生き生きした表情、や
動物に限らないけど、
本当に愉快な喩えがおおい。
この本に描かれた世界も、
多分今はない、逝きし世の面影、
なんだろうなぁ…