帯
私はそもそも本の帯というものが嫌いだ。
装丁を台無しにする。
あれは販売促進のためのものである。
だから、帯に、
版元編集者著者の考えが、
端なくも滲み出ることがある。
擾乱と共に、「世界」という言葉も、
安易な使い方と感じる。
知っての通り日本の文化は、
ほぼ全て中国から伝わった。
いま本国で廃れたものもあるにしても、
かつては確かに存在した。
だからこの世界に中国は含まれない。
ならばどこか。
少し前読んだ渡辺京二の、
「逝きし世の面影」を思い出す。
あの中には、まさに、
擾乱しまくる世界の人々が出てくる。
しかしあの本は決して、
高級な造りの日本凄い本に、
堕する事はない。
人柄によるものである。
ネトウヨなどはよく、
日本人ならそう思うのは当然だろう、
というような事をいうが、
当然ではない。
例えば、ディヴィッド・グローバーが、
アメリカ凄い本、を書くかと言えば、
そういう事はあり得ない。
そういう事だ。