逝きし、続き
日本が近代化する前、
江戸から明治にかけて、
我が国にやってきた外国人は、
ほぼ全員が、
貧乏人は見るからに貧乏そうなのに、
やけに機嫌よく明るく暮らしていること、
行儀がよくフレンドリーでよく笑う事に、
大変驚いている。
やってきたのはヨーロッパ、ロシア、
アメリカからの人たちで、
自分たちは「先進国」の人間であり、
未開なアジア人を教え導いてやろうと、
そう言う役割を帯びて来ているし、
それを自覚している。
それなのに中の少なからぬひとが、
この人達の幸せを台無しにするんじゃないか、
と本気で心配になっている。
自国の労働者階級の貧困の悲惨さをと比べ、
あまりに違うのが、驚きの原因だろう。
ここであのエンゲルスの引用が出てくる。
私はこの年まで、
資本論のしの字も読んでこなかったが、
斎藤幸平くんのおかげで、
人新世の資本論と、
100ぷんで名著の資本論、これだけは読んだ。
資本論を学んだ人の話では、
とにかくイギリスの労働者階級の、
悲惨な貧しさの記述にびっくりしたと言う。
この本の引用部分だけでも、かなりすごい。
小学生くらいの子どもも情け容赦なく、
暴力的にこき使われる。
こう言うものが念頭にあれば、
驚くのは無理もないだろう。
子どもが大切に可愛がられている様子も、
多くの人が目に留め、感心している。
ここに次々と出てくる美質が、
現在跡形もなく消えていることを思うと、
人は社会の構造で、
いくらでも変わるものなのだと思う。
それは日本人だけに限ったことでなく。
新自由主義に突き進み、
今もどんどん人は変わっていっている。
滞在は短い人も長い人もいるが、
外国人は意外によく見ていて、
コモンやアジールについてなど、
次々に面白い話が出てきて、
興味が尽きない。
家も粗末なら家具もなく、服も地味、
清潔ではあるが色彩に乏しい、
偉い人の住まいさえ豪華さがない事に、
不満のある人も多い。
ベルサイユと桂離宮は、
ほぼ同じ頃の偉い人の住まいである。
私はたまたまこの二つは実物を見ているが、
あっけにとられるほど、テイストは違う。
これが限界的と言うほど両極端。
どうしてこうなる?と言うくらい。
その美意識には、
確かに特有のものはあるかもしれない。