意地悪が多い今日この頃や、、
多くのみんなが優しくないのは、
なんでだろう。
完璧な自己犠牲的優しさというものは、
難しいかもしれんが、
別にそんなもんはいらない。
ちょっとした、小さい優しさも、
相手方から見ると、
場合によってはとても貴重なものになる。
またペレイラで、悪いんだけど、
ロッシがボロボロで転がり込んできた時、
とりあえずお風呂に入れて寝かせる。
翌朝そっと買い物に出る。
奥さんが死んでから一人暮らしだけど、
普段は門番のおばちゃんが、
食事の世話をしてくれるから、
ペレイラはあまり料理はしない。
タラのコロッケ、オイルサーディン、
目についたパブリカをまぶしたハム、
卵、メロンなど買い込む。
その日たっぷり寝たロッシのために、
ペレイラは、イタリア料理を作ろうと思う。
ハムをどっさり切って、なんかやって、
パスタにからめたようだ。笑
ロッシは、ご馳走ですね!
こんなのずっと食べてないと喜ぶ。
そして、これが最後の晩餐になった。
ペレイラは、
なぜイタリア料理を作ろうと思ったかは、
わからないと供述している。
(こんなことまで、笑)
しかし、ペレイラは、
ロッシがイタリア系であることを、
聞かされて、知っていた。
きっとそんな事を思い出して、
怪しげなイタリア料理を、
作ってやろうと思ったのだ。
明らかにこれ、
ちょっとした優しさではないか。
こう言うのが必要なんだよ。
タブッキの話を読んでから、
でもないかと、再読したわけただが、
はっきりしたものはなかった。
電車で会ったご婦人の他に、
〈ユダヤ人の肉屋〉と言うのがでてくる。
近所の肉屋で今は息子の代になっているが、
このお父さんと昔から仲良しだったらしい。
お店のガラスを割られ、いたずら書きをされ、
後始末をしている所に行き合うシーンがある。
これもさらっと。
どちらかというと
カルドーソ先生がユダヤ人ではないかと、
思うのだが、それも特に証拠はない。
そんなことで、それ以外の細かいことばかり、
気になってしまった。
誰でもちょっとぐらい、
優しくできるはずなのに、
意地悪な事ばかり考えるみたいなこの頃。
酷い誹謗をする人たちは、
相手が自殺すれば気が済むのかと思うことも…
意地悪をして偉い気になるより、
親切をしていい気持ちになる方がいいのに。