再読「ある家族の会話」
ナタリアギンズブルグのこの本は、
1992年のものだから、
かなり久々の再読となった。
彼女の育った家、家族の日常を、
懐かしく書いている。
全員がなんらかの反ファシズムの運動に、
関わっており、
結婚したレオーネギンズブルグは、
運動の指導者で、
逮捕されローマで獄死した。
しかし、ナタリアはユダヤ人で交際範囲は、
ほぼ全員ユダヤ人であったが、
ホロコーストの被害者はいない。
兄の妻の両親が、
逮捕され連行された話はあるが、
非常にさりげなく曖昧に書かれている。
人種差別法により、
父親はトリノ大学を解雇され、
ベルギーの大学に移ってはいる。
彼女は戦後もトリノのエウナウディ書店で、
仕事をしている。
エウナウディは彼らのお仲間が始め、
大きく成長した出版社である。
プリーモレーヴィは、
イタリアに戻ってから書いた、
これが人間か、を持ち込んで、
出版を断られている。
その後2版目からは、ここ。
トリノはそう大きな都市ではない。
たびたび登場するが、
この本にプリーモレーヴィは、
ひとかけらも出てこない。
レーヴィというのはユダヤ人に多い姓で、
ナタリアの実家の姓でもある。
同じユダヤ人でも、あの体験をした人と、
そのまま戦後まで生き延びた人では、
想像を超える断絶があったのではないか。
私がちょっと調べた限りでは、
プリーモレーヴィが新聞に非難声明をだし、
これにナタリアギンズブルグも、
連名で名前を連ねている。
繋がりはこれだけしか見つからなかった。
プリーモレーヴィは、
近づき難い人であったような気もするし、
イタリアにとどまったまま生き延びた人は、
ガス室に行った人たちに対する、
言いようのないひけめみたいなものも、
あったはずだ。
戦争の傷の形は、
情け容赦なく千差万別である。
イタリア本土はあれだけの文化遺産が、
焼けずに破壊されずに残っているのだから、
焼け野原になった場所とでは、
ずいぶんちがう形だったのは当然だろう。
本そのものは面白いが、
その面白さが何故か不思議に感じられて、
困ったのであった。