松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

社会的役割、保守的な熊

社会的役割の事を考えてみると、

どんな人がどんなところで役に立っているかは、
計り知れないほどのバリエーションがある。
例えば祇園に代表されるお茶屋街は、
一晩でバーンとお札をばらまくような、
金持ちが支えてきた訳だが、
これもただ金持ちならいいわけでなく、
事業拡大命、金の亡者的経営者や、
真面目一徹仕事一筋系も役に立たない。
なんかの本で祇園の上客は、
金持ち寺の坊さんだったと読んだ事もあるが、
生臭坊主も大いに役立ったという事だ。
歌舞伎なんかもそうだし、
芸能芸術の分野では、
きちがいみたいなコレクターとか、
我を忘れたファンなどが居たから、
成り立ってここまできたのだと思う。
しかしこういう人たちは、どう考えても、
家族や身内の評判は良くなかっただろうと思う。
家族というものは基本的に保守的なものである。
それが家族というものの役目だからだろう。
チンパンジーの先生の本によると、
母さんはこれは食べて良いもの、これはいけないもの、
ということを子どもに教え込む。
親の言いつけを守った子は生き延び、
美味しそうだから食べてみようかなどと、
チャレンジしちゃった子は案の定死んだりする。
アイヌマタギの人の本に、
山の中で熊に会ったら、という話が出てくる。
出会ったのが巨大な大人の熊ならラッキー、
そういう熊はめちゃな事をしない。
そういう風に生きてきたから大きな熊になれたのだと。
危ないのは中途半端な大きさの若者だと。
大きな熊は保守的な熊なのである。笑
人間の場合は、危険な天敵もいないし、
つい安穏に生き延びるだけでいいのか?
と思う人が出てきちゃう。
そしてこういう人には、
またそれなりの役割があるという訳だろう。