松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

トリオ

この本に嶋井宗室と言う博多の豪商が出てくるが、
筑紫の茶坊主こと神谷宗湛と同じ、
商都博多をし切っていた年寄り衆の一人で、
宗室は神谷家から養子をとっているので、
二人は親戚でもある。
今回この本で今ごろやっと謎が解けた。
豪商の茶人がなぜみんな坊さんなのかである。
豪商とはいえ庶民階級なので、
偉い大名方とお茶遊びなどで同席するためには、
僧形になる必要があったと言うことだ。
千利休なども同様である。

昔から宗教関係者は権力者のそばにいた。
古代の方に遡れば政と神事は渾然一体であるし、
その後も坊さんはインテリ階級であるからブレーンとして、
また勧進僧のようにマネージメントに強い人もいたし、
土木建築医療などあらゆる分野に賢い坊さんは活躍した。
本職の宗教業務の他にも、
いろいろのことに関わったと思われる。
だから坊さんはこっから先は普通の人はダメ、
と言うゾーンにも入れたのだろう。
この本に出てくる坊さんと商人を兼務している人たちは、
総合芸術であるお茶を嗜みつつ、
バッチリ戦費の話もしただろう。
茶室は密談には実に都合の良い場所であるしね。
江戸時代になると、
そちも悪よのうの越後屋なんかは、
別に僧形ではないからその後は廃れた形式なのか。

坊主と商人と王様はどこでもがっちり組む。
イスパニアポルトガルも。
お互いに協力しつつ利用し合う。
お金と権力と宗教は切り離せないもののようだ。