室町言葉の記事で、
島原半島で印刷されたと書いたが、
日葡辞典は長崎で印刷されたらしい。
印刷機も迫害のあおりで随分移動している。
思い出して「活版印刷人ドラードの生涯」を、
出してきて年表を見て確認した。
ドラードは日本名がないが、
ポルトガルと日本人のハーフではないかと言われている。
ポルトガル語のほかイタリア語もだいぶできたらしい。
子どもと言っていいくらい若い頃から、
ヴァリニャーノの雑用係として採用されたのは、
通訳ができたからである。
容貌も金髪だったかもと言う説もある。
印刷技術を学ばせる要員として、
クワトロラガッツィと共に船に乗った。
帰ってからはちゃんと学んだ技術を駆使して、
たくさんの本を印刷した。
偉いものである。
私ならえっと、どうすんだっけ、になっただろう。笑
原マルチーノと共にマカオに追放され、
マカオで最後は司祭になっている。
賢い上に勉強家でもあったのだろう。
クワトロラガッツィに負けないくらいの、
波乱万丈の生涯であった。
もうひとつこの印刷機を買ったのは、
ポルトガルのコインブラであった。
ここは立派な大学都市であったが、
コインブラで思い出すのは、
「供述によるとペレイラは」である。
アントニオタブッキの小説で須賀さんが訳しているが、
これが私は大変気に入っていて、
コインブラという地名をすっかり覚えてしまった。
タブッキはレーヴィともお友達である。
機会があったら読んでほしい。
活版印刷はドイツで発明されたが、
初期にたくさんの印刷物が生まれたのは、
ヴェネツィアである。
コインブラでゲットする100年くらい前。
ヴェネツィアに良い古本屋があるのは当然なのだろう。
あとポルトガル歴史博物館には、
素晴らしい日本の南蛮屏風が残っている。
クワトロラガッツィが必死に嵐から守ってローマに届けた、
屏風のほうはボロけて無くなったみたいだが、
最初はちゃんとバチカンにあったらしい。
ポルトガルのエッグタルトも美味しい。
また孫崎享さんの奥さん孫崎紀子氏が、
加賀藩のキリシタン武士と、
九谷焼に関する本を出されたらしい。
「古九谷の暗号」
前田家はジュスト右近様を匿っていたから、
実に26年もの長きにわたってであるから、
加賀藩にもキリシタンが相当数いたはずである。
この本もぜひ読んでみたい。
なんかキリシタン熱がちょっと再燃気味である。