松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

文化について

「残響」の中に「今でなければ」の話が出てくるが、
その中でドーヴという老パルチザンについて、
彼は死なせたくなかったと、
プリーモ・レーヴィが言っている。
この本は綿密な下調べを経て作り上げた小説で、
事実を元に書いているが登場人物は著者の創作である。
私もこの人のことは非常に印象に残った。
ロシアの果てのサモエド人が住むところ、
極地に近いほどの村のでである。
そんな所にもユダヤ人は居たのかというのがまず驚く。
それも土地に混ざってしまわずに、
ユダヤ人というアイデンティティをもったままに。
著者は自分は信仰は持っていない、
ユダヤ人の文化に属しているだけと言っている。
ラーゲルが存在した時点で神などいないと、
それでも収容所内で最後まで信仰を捨てない人もいて、
非常に尊敬はするとも。
ユダヤ人のように移住を余儀なくされた人たちは、
文化だけは手放さなかった。
著者も文化はかさばらないと言っている。
きっとロシアの果てまで携えて行ったのだろう。

立岩真也の本の中に知恵遅れと言われる障害について、
自分を取り巻く世界の受け取り方が違う。
それは別の文化に属していると言うのに、
似ているかもしれないと書いていて、
あー、そうなのかと思った。
そしてある文化に属していることが、
その人の喜び安定につながるなら、
それは尊重されるべきであるとも。

私が勧めた本を読んでみて、面白いと言ってくれると、
私は実に嬉しい。若い人ならなおさら。
我々の世代は深刻な負の遺産を、
たくさん残して死んでいく事になる。
そのことは常に申し訳ないと感じている。
埋め合わせにはとてもならないが、
私にできること、良い本を勧めるとか、
味噌の味を教えるとか、
一回でも二回でも着物を着せてやるとか、
そういう事が文化を伝える事の一端ではないかと。
先々手離すのは本人の意思でいいが、
一応こういうものもあったなぁというのが、
何かの時に良い記憶として残らないでもないし。
そういう文化に属していた事を自覚するのは、
大事な事かもしれないし。