周期律2
化学と文学が随分と遠い世界なのだと感じるのは、
我々が理系文系という謎の二分法に毒されているからだろう。
スケール感が違うとまったく違う見え方になるのは、
世の中にはよくある事であるが。
原子の動き変化を表す化学式のようなものは、
我々の目には見えない。
しかし、朝食べたトーストが、お腹の中で消化され、
私たちのエネルギーに変わるのは、
その化学式で表される純粋な化学である。
私の好きな細菌たちが土の中でやっている事、
植物の根とやりとりしている事もまさにそれである。
私は化学の点はさんざんだったけど、
体の中ではちゃんと化学を使って生きている。
ま、私がいばることではないけど。
本の最後を飾るのは炭素、Cである。
ここでは終わりのない炭素の旅が完璧な文章で、
見事に表されている。
以前ビックイシューの木の特集で、
光合成に関する記事でまったく同じような話があって、
私のやまでも紹介した事がある。
内容はまったく同じであるが、ここでは、
完璧な一編として本の美しい締めくくりになっている。
著者の同胞の多くが、アウシュビッツで、
煙突の煙となり灰となり、この世から退場したわけだが、
それぞれの人の中にいたCの旅は、
そこで終わったわけではない。
Cの旅が果てのない循環である事が、
希望のように思える。
レーヴィが化学を愛する気持ちがよくわかる。