松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

デマと鰯の頭

荒唐無稽なデマを信じてしまう人のことを考えている。
「鰯の頭も信心から」という言葉がある。
信仰を軽くからかうニュアンスの言葉だが、
実際外から見て、鰯の頭の様なつまらないものを、
有難がると言う現象は、それこそいっぱいある訳だ。
そういう人に、秋刀魚の頭じゃどうだ、と言っても駄目で、
必然性とか科学的根拠とかは、問題にされない。
これを買う人はみんな幸せになれると言われて、
鰯の頭の様な壺を大変な値段で買ったりする。
ここで注目すべきは、みんなというところ。
あるグループの存在が背後に隠れている。
子どもがおもちゃを欲しがる時、
「みんな持ってる」という事を必ず言うが、
その「みんな」である。
デマを信じる人も同様に「みんなそう言っている」と、
実際に言うらしい。
現実的に接触があるかどうかに関わらず、自分が、
そこに所属しているとなんとなく感じているグループの動向が、
やはり絡んでいて、帰属する母体の中での、
承認欲求に関係しているのではないかと思う。
以前ナイキのエアジョーダンの事を、
ナオミクラインは書いていたが、
当時あの靴を熱望するあまり、窃盗や傷害事件が、
たくさん起こった。
運動靴ごときで逮捕されるなんて、
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、
実際にナイキは供給のバランスを絞って、
欲求を煽る作戦をとった。
これなども少年たちの集団の中での心理を、
狙い撃ちした行為であり、彼女は激しく批判している。
ネトウヨ的なパソコンの前で孤立しているかに見える人も、
別のネトウヨ
ネット空間の中でゆるくグループを形成している。
そういう集団の中でデマは拡散され共有され強化されていく。
その手の人にとって革新系の言説は、
はなから自分に関係のない集団の話と見られ、
1ミリも影響されることはない。