「無銭経済宣言」6
カネ無し生活、簡素な生活に移行しよう、
というところまで行った人から聞かれる心配事で、
最も多いのは、
友達、家族、地域の反応に関するものだそうだ。
「なんだかんだ言っても結局、お金を持たなければ、
貧しいだとか人生に失敗しただとかの、
烙印を押されてしまう」
「いやはや、
社会的受容がいかに心中深くうめこまれているかには、
恐れ入る。」
これは本当にそうだなぁと実感が湧きまくる。
著者は随分前から無銭経済について考えて行動してきた人で、
私の思いつくような事は既に考え尽くし、
多くの実例なり先行する著作なども読み、
その豪快な性格も相まって、
多くの困難を乗り越えてきたのだと想像する。
その彼が、この本の後の方で、
「イカれていると思われそう」で書こうかどうしようかと悩んだ、
「全く科学的根拠のない」自身の体験を書いている。
イカれてると思われたくないと言うのは、
イカれていないと思われたいと言う社会的受容の、
欲求であり、科学的根拠にこだわるのは、
人間が一番偉いという物語へのこだわりである。
彼でもこういう風に思うのかと、びっくりした。
科学的根拠とは、
一番偉い人間のその中の最も優秀な頭脳が、
導き出した知見が科学であり、それこそが正しい、
科学の裏付けのないものは間違っているという、
まさに人間が一番偉い物語そのものである。
科学が素晴らしい英知の結晶である事に異存はないが、
あくまでも現時点のものであり、完璧とは言えない。
科学の歴史は修正と上書きの連続である事は、
科学者自身も良く知っている事であろう。
科学が解明できていない分野、
調べてみようと思い損ねた分野は、
広大であるし、そこで見つかる事実が、
理由がわからないからといって、
取るに足らないものであると言い切る事はできない。
ちょっと前なら麹ともの会の会長などは、
やや魔女の疑い、というかどで、
火あぶりにされていたかもしれんわけで、
私は科学的根拠を振り回す人が、
結構おそろしいのである。
話は最初に戻るが、そういう相談者に、
彼が答えていうのは、「勇気」
必要なのは勇気だそうだ!
振り絞っていこうじゃないか。