評価、最後
またあのドイツの話になるが、
オットーと妻がベルリンの街角に置いたハガキは、
実際にどうなったか。
見つけた人は危険を察知して、
見なかった事にして立ち去るか、
毒物かなんかのように、慌てて警察に持ち込むかした。
彼らの意図は一般の市民に、
ナチの危険を知らせる事が目的であったが、
それが遂げられたたとはいえない。
市民はろくに内容を読む事さえしなかったのだから。
じっくり読んだのは彼らを追っていた、
当局の人間だけであった。
これは、自己満足に過ぎない、と言われる案件だろう。
しかし、ドイツから遠く離れた日本の私は、
彼らの行為に勇気付けられた。
そうか、こういうやり方だってあるんだと。
今回映画化されたことで世界中の多くの人が私のように、
感じるかもしれない。
もはやこれは「過ぎない」ではすまない。
もう一つ、またおじろくの話に少し関連して。
宮本さんの海の話から。
江戸時代、幕府は鎖国政策を取っていたので、
勝手に遠くまで行けないように、
大きな安全な船を作る事を原則として禁じていた。
だから海難事故は非常に多かった。
海での輸送に関わる危険な仕事をするのは、
生まれ在所で生活ができなかった貧しい農家の、
次男三男が多かったと。
彼らは生涯所帯も持たず子も持たず、
湊港で女性と酒を飲む事があったにしても、
社会の一員として落ち着く事もなく、
ある日ひっそりと海で死んで行ったのだ。
そういう人がいて今日の我々がいると、
宮本さんが何かの本の最後にひっそりと書いていた。
誰もが忘れ、気にもかけないなら、
せめて私はそれを憶えていようと思った。
そうして、名もない勇敢な人達は、
私に重大な影響を与えた。
自己満足に過ぎないと発言する人達は、
人は、たまに、自分の目の前に結構高いハードルを立て、
それを乗り越えようと、
ひたすらに真面目に生きる事もあるという事を、
多分知らないのだと思う。
そういう生き方は巡り巡って、
いつかは誰かに大きな影響を与える事もある。