「職人の近代」6
是秀の作る道具は最高級の品質であり、
最高の技量を持つ職人だけが使いこなすことができる。
そういう使い手である大工から、
軽蔑されかねない装飾を、なぜやるか。
彫刻刀などの道具を通じて知り合った、
芸術家の影響を指摘されている。
例えば朝倉文夫。
朝倉彫塑館には昔行ったことがあるが、
なかなか面白い人である。
改めてまた行ってみたい。
もう一人、お金持ちの道具道楽の、
栗原波月という人がいる。
仕事はそっちのけで道楽に走り、
ついには、目も肥え、知識も、
そこらの玄人に負けないような域に達するというような、
趣味人は洋の東西を問わずたまに出てくる。
この人は自分で鍛冶仕事をやってみて、
是秀をうならせる謎の鉄製品を作って見せたというから、
桁外れである。
お金もない凡人の我々から見れば、
なんというかファンタジックなキャラクターであるが、
こういうお金持ちであるがゆえの、
欲得ずくでない立場でしかやれないこともある。
是秀はこういう自分とは違う領域の人たちの、
作るものや考え方を素直にしずかに学んだ人である。
波月は香木や香合もコレクションしていたという。
私はついこの前、
静嘉堂文庫で香合を見てきたばっかりなので、
本を読みながら、同じ道具とはいえ香合と鑿では、
なんと違うことかと思っていたから、面白いと思った。
香合は必要な機能などはごく単純であるし、
使う人は趣味人であり、実用性より、
意匠の面白さに比重がある。
しかし波月みたいな人は現在も生息しているのだろうか。
こういう人は歴史上に名を残さないのかもしれないが、
実は意外に影響力があるのではないか。
趣味というのは領域やしがらみや利害などの、
境界線を飛び越えるものである。
なかなか終わらなくてすいません。
もうすこしです…