松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

子ども、犬、管理の事など

最近目にすることが多いのは、
テストができてよくいうことを聞く、
先生や親に褒められて育った良い子が、
良い大学に行って高級官僚になるから、
上の意向ばかり気にして、自分の頭で考えられない、
話にならん…てな感じの言説。

これは私も大筋同意するところである。
ただ、ちょっと違うんではないか…と思うのは、
それは子ども本人が悪いんじゃなくて、
そんな評価しかしない親や教師がダメなんだろう。
子どもが親や先生に褒められたいと思うのは、
ある意味自然なことだろう。
人は賞賛されることが大好きだし。
人間ばかりではなく犬もそうです。
以前犬が散歩に出て、幼稚園のこどもの集団に出会って、
口々に、「わんちゃんかわいー!」と賞賛された。
その際のビフォアアフターの写真を見たが、
これが、笑えるほどの変化!
ビフォアのやる気のない感じから、
アフターのお目めのきらりんの変化ったら!笑
だからね、皆にでくのぼーとよばれ、
褒められもせず苦にもされず、いつも静かに笑っている、
というのは実はすごく難易度の高い事なのです。

記憶力がよくてテストに強い、
管理しやすい従順な子どもばかりを、
高評価する大人が悪いに決まっているんじゃなかろうか?
そこは当然だと言わんばかりなのは、
言ってる人もそういう価値判断なのだろう。

こう言っちゃなんだが、昔の小説など読んでいると、
多様な評価の仕方をする先生や親はいくらでも出てくるぞ。
型破り的な教師もけっこういたっぽい。
現代のような単一な評価の仕方は、
当たり前でもなんでもないと思う。
どちらかと言うと恥ずべきことである。
イナダ大臣が、私はあまりにも記憶力が良いので、
云々という答弁をした時、
記憶力が良いのは現代では物凄い高評価なんだろうなぁと、
やや呆れ気味に納得した。
みんな個性とかなんとか言うくせに、
大きくはみ出れば即問題児だ。
管理しやすいということは、
親や教師にとって、それが楽だからであって、
たぶん子どものためでもなんでもない。

ちょっと偉そうだった?笑
私自身が立派な親とは全く思ってないけど、
子どものことだけじゃなくて、
人間は本当は自分のためなのに、
相手を思ってのことであるかのように、
都合よく誤魔化しがちである。
そこはなるべく意識する必要がある。
努力と勇気もいる。
だって、他の何より強いのが自己愛であるから。