松井なつ代のやま

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葵上、恥辱

葵上の六条についてもう一つだけ。
般若は嫉妬に狂った女の面なのだけど、
六条の心にあったのは、
どちらかというと恥の感覚ではないかと、
馬場さんは書いている。
これはものすごく納得できる。
年甲斐もなく光源氏に入れ込んでしまったこと、
その感情に支配され生霊にまでなってしまった。
そして光その人に、
自分の生霊であるということが知られてしまったこと。
これらのすべてが恥ずかしくいたたまれなかった。
六条の心の闇の中にあったのは恥辱であったろうと。
六条という人は賢そうな感じで誇り高い人そうだから、
これは辛いんじゃなかろうかと、
私は完全に気の毒になった。
最後は穏やかに、僧の読経に唱和してお終いになるのだが、
その時にもあの般若の面を着けているわけである。
そこが何とも悲惨である。

恥の感覚は人の行動を規制する要素になる。
それは昔も今も世界中で変わらぬ部分と、
その時代の文明の常識なども絡んで成り立っている。
人は恥辱によって死ぬこともありうるのではないか。
恥の感覚のない人間は長生きしそうである…