我々は貸切という状態であった。
お夕食は「蟹」である!
このお宿は地元のお能愛好者の、
お稽古場になっているとのことで、
姉の友達ビートちゃんとかっぱちゃんの参加が決まった段階で、
夜は古典芸能の夕べとなる手はずであった。
ところが直前になってビートちゃん体調不良で欠席と相成り、
企画は縮小を余儀なくされたのである。
何しろビートちゃんは鼓は打つは、謡はうなるは、
何より山中節の名手と伝え聞く。
山中節はこれのコンテストがあるくらい愛好者が多いが、
難曲として有名でもある。
「ビートちゃんに山中節を教わろう!」というのが、
目玉イベントだったのである。
かっぱちゃんは三味線と歌詞カードまで持参してくれたが、
難しすぎて、我々にはてんで唄えたものではなかった…
(最初のハァーから、もうだめ…)
ビートちゃんの穴を埋めるべく、
姉がいつになく頑張って小舞を二曲舞ってくれたが。
サブの出し物で、あのふくだが三味線で、
娘が男踊りという阿波踊りもあったが、
何よりわかりやすいし、これが意外に受けた。
(久しぶりで娘はももがつりそうになっていたが…)
しかし、かっぱちゃんも着物に着替え、
姉もちゃんと袴をつけての熱演で、
ツアー客諸君にはまぁ珍しかったのでは思う。
ここのお宿のお嬢さま達はのんきなもので、
夕食が終わればどっかに帰ってしまった!
文字通り貸切、我々だけである。
私はそこまでとは知らなかったが、
娘が「私、一応鍵預かったから」って、
えーっ!であった。
夜は外に出てちょいとおぼろな満月を見た。
こっそり覗いた箪笥の引き出しは、
(引手が取れて開かない段もあったが)
お能の台本の古い和綴じの本がぎっしりあった。
とにかくここも船主さんのお宅であるから、
柱から梁から、欄間、襖まで大変な代物である。
本当にびっくりであった。
翌日は車で50分ほどの永平寺に行く予定で、
早めに出たかったが、お宿のお嬢さまたちは、
朝食は8時半、それ以外ダメ!であった…。
なんと永平寺の参拝時間は5時半から!なのに。