降りた人
考えること感じることから、
全面的に降りてしまえば、
責任をとることも良心の苛責に苛まれることもなく、
誠に呑気で気楽な人生となる。
それは、良心や正義とは無縁の人生である。
批判に対しては、
それじゃああなたは上司に逆らって主張して、
飛ばされて路頭に迷ったら責任とってくれるんですか?
と言うのが切り札としてあるわけだ。
全てが個人の生活費の問題になる。
こういう事が常態になると、
倒れている人をまたいで、
会社に急ぐという人になる。
呑気で気楽な人生が楽しいかといえばそうでもない。
リスクがあっても自分で選び自分で考えた行動こそが、
人に喜びや満足感を与える。
これがいわゆる自由と言うもの。
生き生きとして魅力的な人は、きっと自由な人である。
考えること感じることから降りた人には、
まぶしい美しさであるはずだが、
慣れ親しんだ世界から出るのは怖い。
そういう人は自由な人を憎むのだろう。
退屈しのぎに嫌がらせの書き込みをする。
ちょっと待て、
もし自分が道に転がっている側になったとして、
手を差し伸べてくれるのは、たぶんそういう人なんだよ。
お仲間の、降りた人たちは、
みんな体をまたいで通り過ぎていくだろう。