松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

信頼感

図書館から借りてきた本のうち一冊は、
途中でやめてしまった。
プリモレーヴィのインタビュー集であったが。
本自体に信頼感を持つことができなかった。

まず読み出してすぐに、
「間髪なしに」という表現が出てきた。
これはないだろうと思った。
今回一応調べて見たが、
間髪を入れずというのは元々漢文の一節で、
「間 髪を 容れず」(容れずが本来の形らしい)
このまま慣用句として使われており、
間髪と言う名詞は存在しえない。
次は、最初から最後まで常にと言う意味の、
「終始」が「終止」となっている誤植。
ま、他にも有るのだが、
一番問題だと感じたのは次のようなことである。
作家に対するインタビューなので、
度々レーヴィの著作の話が出てくる。
彼の最もたくさん読まれている本の名前は、
日本では「これが人間か」と言うタイトルで出ているものである。
この本が話題に出て来るたびに、
「これが人間であるか」と書かれている。
訳者は原題に合わせたと書いていたが、
最も古い旧題「アウシュビッツは終わらない」を、
外したのはそれで良いと思うが、
〈である調〉に変更して、
より原題にそうようになったかははなはだ疑問であるし、
そう言う話だけにとどまらない。
本と言うものは一冊の独立したものではなく、
その本を通して読者の世界を広げて行くべきものである。
正確な題名で表記することで、
読者はその本にアクセスすることが可能になる。
訳者がその題名が好きか嫌いかは全く関係がない。
今出版されているそのままのタイトルで表記することは、
常識ではないか。
そういう意味で著者や出版社に対して共感が持てなかった。
わたしのプリモレーヴィに対する信頼はすでに、
確固たるものであるので、
そこは揺らぐことがなかったのは幸いである。
そう言うことすらあり得ると言うのが、
本の恐ろしさである。

「これが人間か」のイタリア語の原題
Se questo e un uomo
(動詞eの上にアクサン)

プリーモ・レーヴィは語る」

多木陽介訳 青土社