松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

明月記を読むをよむ

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上下巻あるしどうしようかなぁと悩んだが、
近所の本屋に注文していた本が届いた。
本を読むのは久しぶりな感じ。
定家の歌をそんなに詳しく知っているわけでもないが、
最初の方だけ読んでも、
その才能は凄いなぁと思う。
10代20代の頃の作品の成熟度には恐れ入る。
この人らに比べると、
今の日本人は頭も心もすっからかんやなぁ。

あれっと思ったのは、少し前に読んだ、
三島由紀夫の「古典文学読本」に出てきた歌が、
また出てきた。たぶんこれだったと思う。
本が手元にないから確認できないが。
これの三島のくだりが印象的だったので、
覚えていたのである。

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ

この著者は解説で、
三島が力説していたと同じことを書いている。
くすんだ荒涼とした光景を読みながら、
華やぎがあるのは、ここには無いとする、
花、紅葉が、その言葉によって読むものに見えるからだと。
三島はこのことを紙幅を使って丁寧にテンション高く書いている。
私はこれを読んだ時なるほどと納得した。
言葉というのはそれ自体が読む人にイメージを植え付けてしまうもの、
文脈で無いと書かれていても、それより先に、
その表すところのものが、
否応なく見えてしまうものなんだと。
私はその時初めて気付かされたので感心したが、
歌の世界の常識なのかもしれない。