「梁塵秘抄」3
「神ならばゆららさららと降りたまえ
いかなる神か物恥ぢはする」
これは今回買った植木朝子編訳の「梁塵秘抄」
には取り上げられていない歌である。
井上靖の「後白河院」の中に出てきて、
梁塵秘抄買うべ、と思うきっかけになった歌である。
この全体的な不敬な感じ、笑
神様とは親密な関係なんだなぁと思わせるし、
今様の主たる歌い手、作り手である、
女性の芸能者は神様といえども、
使える者は使い倒すという主義の人たちだったか、
とも思わせる。
また何よりも「ゆららさらら」という擬音が、
美しく魅力的である。
擬態語をもうひとつ。
「御馬屋(みまや)の隅なる飼猿は
絆離れてさぞ遊ぶ 木に登り 常盤の山なる楢柴は
風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る」
馬小屋で猿を飼うと馬が病気にかからないという、
風習があった。
これは色んな本で目にした。
猿に関しては、
和歌の世界では哀愁に満ちた鳴き声が取り上げられるが、
「遊ぶ」姿は注目されない。
そしてこの「ちうとろ」という擬態語。
風に翻る楢の葉の様子を、素晴らしく捉えている。
今様イケてるやろ?