「休戦」2
レーヴィは九死に一生を得て、
アウシュビッツから抜け出したわけだが、
そこから直接トリノに帰ってこられたわけではない。
ぐーっと、右の方に、ロシアの奥の方を回って、
それから下の方へ行って数々の国を通り抜けて、
さんざん大回りをして、イタリアに帰り着いたのである。
その間、戦争は終わったのに、
国民感情的にはまだ終わっていない、
自由になったかに見えて、
まだまだ危険は周りじゅうにあるという、
非常に曖昧な不安な時間がある。
そうなんだろうなぁと思う。
この本はイタリア語で書かれているが、
本の中に、たくさんの国の言葉が出てくる。
訳者は苦労したと思う。
解放された直後の、ポーランドでの場面では、
なんとラテン語まで出てくる!
道行く司祭に、炊き出しをする食堂の場所を聞く。
司祭はフランス語もドイツ語もわからないが、
レーヴィはポーランド語が話せない。
そこで子どもの頃学校で教わったラテン語を、
(人生で最初で最後)繰り出してみる。
「よき神父よ、貧者の食堂はいずこなりや」
こういうところは本当に面白い。
最初に登場するギリシャ人の道連れが最高に面白い。
アウシュビッツはユダヤ人という括りで、
集められた訳だから、いろんな国の人がいたんだね。
この本を読んで、
アウシュビッツで、体も心もボロボロに壊された人間が、
再び笑ったり、人と交わったりできるものか、、
という恐ろしさを感じていたが、
人は人と接触することで、そのことによってのみ、
もう一度人に立ち返ることができるのだ、
ということがよくわかる。
自分の傷であっても、自分一人で癒すことはできない。