またちょっと猿だけど、
以前サルが公平をよしとするという話を書いたが、
これはもちろん人間に引き継がれている。
不公平嫌悪という言葉もあるらしい。
オマキザルが隣の子が干しぶどうをもらっていると知ると、
怒ってきゅうりを放り出す話を書いた。
これと同じような人間向けのテストがある。
例えば、二人の一方に10ドルの分配をさせる。
自分に8、相手に2ドルとかね。
この分配は相手が拒否すると、
二人とも受け取る事ができない。
合理的に考えれば、1ドルでも2ドルでも、
もらったほうが0よりいいはずであるが、
多くの人は不公平な配分であればあるほど、
拒否する。
相手がまんまと9ドル手に入れるなら、
自分の1ドルなんかいるか!
というわけである。
得したいという気持ちよりも、
不公平に対する怒りのほうが、
強く深い感情なのである。
チンパンジーやボノボでは、
自分が得する方であっても拒絶するが、
これは、相手の怒りが大きいことを知っているから、
ただじゃすまないだろうと思うからであろう。
不公平をなくすほうが群れにとっては平和で、
それはみんなにとって重要な利益であるということ。
こう考えると、この極端なまでの不公平な日本社会で、
自分が馬鹿なんだから仕方ない、
世の中そんなもんだ、みたいに諦め、
デモも暴動も起きないのは、
かなり異常なことであると思う。
ほとんど病気ではないか?
猿として恥ずかしい。