松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

米澤弘安日記の続き

昔の本を読むとよく感じることですが、
時間に関する感覚が違って、
実にのびのびしているのが羨ましい。
今も各地に残る神事、お祭りなどで、
夜を徹して行われるものは多いです。
神様が降りてくるにが夜明け前で、
とかいう事情もあるでしょうか。
古い時代ほど夜中の時間帯が、
重要な意味を持ち生きているように思えます。

この本に婚礼のことが出てきます。
自宅で親族が集まっての、小規模なものですが、
お祝いの鯛が届いて、お嫁さんのお荷物が届いて、
お嫁さん本人が到着するのは、
夜の9時ごろ。
それから三々九度の盃があって、
宴会が始まるのです。
ご馳走とお酒に、皆さんお得意の、
謡、加賀万歳、まさに飲めや歌えで、
朝まで続くこともあります。
婚礼でなくとも、お茶事や宴会や、
踊りの見物、お芝居、そういうものも、
今の感覚からすると、
すごい長時間のことが多いように思います。

この前読んだ無銭経済宣言に出てきた、
「お金の物語」に我々はすっかり支配されていますが、
ものの値段も労働の対価にしても、
お金と時間は切っても切れない関係です。
お金の物語に時間というものは、
がっちり組み込まれています。
われわれは、
お金と時間に支配されていると言えるかもしれない。
私もそうですが、あっ、もうこんな時間!
と時間がかかったことに気がつくと、
急に腹ただしくなったりします。
用を済ませることが目的で、かかる時間とは、
本来別の話のはずです。
ところが時間が絡むと、
急に無駄だとか合理的じゃないとか、
もっと簡単にすべきだとかいう話が出てくる。

以前も書いたかもしれませんが、
宮本常一奄美の話で、
おばあさんが今日は月が明るくて気持ちがいいからと、
縁側に機を移動させて、
月明かりで機織りをする話が出てきます。
これが非常に印象に残った。
機織りはおばあさんの仕事だけど、
その時のおばあさんは、お金でも時間でもなく、
気持ちいいからという理由で、
夜になっても織り続けるのです。
あくまでもおばあさんが主人であり、
本当に清々しい自由さを感じました。

この本に出てくる人たちも、
実際は辛いことや厳しい事もあったに違いないけれど、
少なくとも時間の奴隷ではなさそうです。
堂々と自分の24時間を生きているように思えます。
現在の余裕のない我々の生活が、
本当にケチくさい貧相なものに見えてきます。