松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

写真について

ユージーン・スミスの展覧会に関連して、
様々な記事が出ているが、
入浴する智子と母の写真に関する話は、
表現の自由と人権についての、
重要な話であると思う。
この写真はユージンの水俣の写真の中でも、
特に有名で、目にした人も多いと思う。
世界中で写真集になりポスターになりチケットになり、
多くの人に水俣を知らせる役目を果たしてきた。
智子さんが21歳で亡くなった後に、
遺族からこの写真を使わないでほしい、
智子を休ませてやりたいという要望が出る。
それまではどちらかと言うと、
展示に協力したいというスタンスから変わる。
背景には大量に貼られたポスターが剥がれ、
雨の中で人に踏まれというような光景を、
目にしたりという体験や、
いろいろなことが重なっているようだが。

アイリーンさんはこの時徹底的に話し合って、
以後使わないと決める。
写真家には二つの責任がある。
被写体と表現物と両方にある。
そういう風に彼女は言っている。
この写真が世界にとってなくてはならない重要なものだと、
展示しないことに反対する人もいる。
しかしここではアイリーンさんは被写体への責任を、
優先した。
ユージンはすでに亡くなっているが、
彼女はユージンと一緒に実際撮影しており、
彼女の決断は尊重すべきである。
いつの場合もどっちが大事とは単純に言えないし、
難しい場合もあると思うが、
私はこの件ではこれが最良の結論であるように思った。

この度の恵比寿の展覧会でも、
この写真は使われていない。
全てアメリカの大学の持っている、
当時のヴィンテージプリントが使われているが、
この所有者もアイリーンさんの決定に従った。

今回見て、プリントが凄く綺麗なので、
ちょっと調べたが、当時のプリント技術は、
やはり凄くて、印画紙も今より上等であったと。
印画紙のような工業製品も、
現在の方が良くないとはどういうことかと思ったが、
やはりフィルム写真そのものが、
ほとんど消えかかっているわけだから、
品質を維持するモチベーションもないのかもしれない。
しかしフィルム写真は綺麗なものだ。
なんか凄く懐かしかった。(偉そうだけど、笑)
大学時代自分の部屋で徹夜でプリントをして、
並べて悩んでいた日のことを思い出した。
あの匂いね。