松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

数字

味噌や塩麹などの賞味期限とか、
出来上がるまでの時間とかを常に聞かれるのだが、
いつもうまいこと答える事ができない。

塩麹については麹屋さんが出しているレシピも、
実にいろいろで、出来上がりも2週間から2ヶ月まで、
異様に幅があったりする。
実際季節によってもものすごく違うし。
できたら冷蔵庫でどのくらい持つかというのも難しい。
例えば畑に植わっているネギは、
そこで生きているので、
どのくらいもつかという質問は誰もしないと思う。
ずっと植えておくと葱坊主ができ花が咲く。
変化はするがずっと生きている。
人間にとって食べごろはいつかという話である。
(葱坊主も美味しいらしいが。)
それと同じように麹は生きているので、
(米という食べ物を抱えて)発酵が進むと、
やや味が酸っぱくなるかなぁというくらいの事である。
味噌なら茶色くなって味も少しづつ変わる。
だからと言って特に問題はないのである。
生きているんだから。
好きな時に食べれば良い。
納豆も同じでいつまでというのはないと、
納豆屋のおじさんが言っていた。
古い納豆が好きな人もいると。
(謎のアジア納豆にもその手の話は出てきたね。)

私自身もそういうのはないわけではないが、
人々は全体的に数字を気にしすぎである。
食べて美味しいと思う時に食べればいい。
自分のベロが一番信用ができるはず。

逆に言うと死んでいるものが難しい。
各種の保存料が入っていて、
死んでいるのに変化しないもの、
硬くならないとかをパサパサにならないとか、
色が変わらないとか、
そういうものはいっぱい出回っているが、
それらの方が恐ろしいような気がする。
判断する元になる情報がない。
その代わりに数字が書かれてあるわけだけど。
中沢新一の「チベットの僕の先生」に出てきた、
先生が人生をかけて自分とは何者かを極めてきたのに、
身分証明書という誰かの作った紙がないと、
自分を証明できないとは、
これはなんなんだと驚く話に少し似ている。
存在そのものではなく、
印刷された数字だけが判断の基準になるという。

私はちゃんとそれなりに変化するものを、
美味しい時に食べるということを目指したい。
私が単に数字に弱いっていうのもあるけど。
私が数字に弱いのは、
あいつはお金の物語のまわし者では?
という色眼鏡で見てるからかも。笑
今気がついたけど、これあり得るな。