松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

人種差別

先日興味深い話を読んだ。
アメリカの目の見えない人だけを対象にした、
人種差別に関する聞き取りである。
話を聞いた人の中には白人もいれば黒人もいる。
白人の女性の一人は、
私はレイシストよ、ときっぱり言う。
そこまで言わないにしても、言葉のイントネーションや、
なまり方で、この人は白人か黒人かを、
聞き取ろうとするという発言は多かった。

ここに出ている人たちはみんな、
肌の色というものを認識できない。
最初の女性にしても、自分が白人だということを、
視覚的に自分で捉えることができないわけである。
人種差別というのは、
肌の色の濃い人は差別されるべき、
白い人こそ素晴らしいという社会の価値観を、
認めているという事であろう。
要するに人に優劣をつける社会であるということを。
そして、実際に肌の色などの要件を確認できなくても、
差別は問題なくできるということである。

今読んでいる本でもその印象を強く持ったし、
以前からそう感じていたが、
インディアンたちというのは、総合的に見て
差別的な考え方をする人が非常に少ないように思う。
懐が深いというか、寛容で、
自然保護の抵抗運動でも、目的が同じなら、
どんな人たちとも共闘する。
それは、彼らの社会の伝統的価値観が、
一般的なものと違って、
こういう人は差別されるべきというような、
要素を含んでいないからではないだろうか。
動物との関わりを見てもそうだし。

差別意識がある人は、すべての分野で差別する。
しない人は何もしない。
要するに人間の価値にランクをつける事が、
多くの人に支持される社会では、差別は無くならない。
学歴差別を口にする人は、口に出さないとしても、
絶対に人種差別もしているはずである。
そういう社会の常識に捉われているかぎり、
ある分野で自分自身が差別される側であっても、
別の分野では、人を迷わず差別するだろう。
自分が差別されるのは不当だと思うことと、
差別はいらないという考え方は、別のものである。
人はそれぞれ自慢の種を少しは持っていて、
誇ってもいい。
たまにはそういうこともなくてはつまらんだろうし、
探せば誰でも美点はあるはずである。
そして他人のそれも認めること、
自慢の種に優劣を持ち込まない。
そういうことではないかなぁ。