松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

本当の知識

湿地帯中毒の中島さんが、
知識はやっぱり大事、知識がないと守る事もできない、
というような内容のツイートをしていて、
ふと考えた。
(ここでいう守るものは水生生物などの生き物だ。)

私は知識について書くときはいつも、
「沢山あればいいと言うわけではないが、」と、
但し書きをつけてしまう。
それは、明らかに知識を沢山持っていると思われる人の中に、
素晴らしくない人たちが散見されるからである。
ここに来て、そうかあれは知識ではないのかもしれないと、
思い至った。

知識とは自分の体の中に受け取ったら、
何かの折に自由に取り出して、自分の考えや行動の、
指針にしたり、参照したりできるものである。
答案用紙に書き写すだけの物は、
知識とは言えないのではないか。
やはり本当の知識は、あればある程いい!
以前も書いたかもしれないが、
宮本常一が車窓から家並みを見て、
読み取れることは膨大である。
私にはただの色や形としか見えないものが、
実は様々な意味を持っていることを、
多くの知識を参照して、瞬時に読み取るのである。
宮本さんでなくても網野さんや森浩一先生でもいいが、
知識とはそういうものである。
私たちが本を読むのは、
自分の力では読み取れないものを、
見せてくれるのが面白いからであろう。

ネトウヨ的な人の言うことを聞いていると、
そのあまりにも貧相な知識におどろくことがある。
知識があったとしても、聞きかじりの、
記事のタイトルだけという程度である。
それで大威張りで罵倒したりするから驚くほかない。
この時代、正しい知識を身につけなければ、
繰り返される嘘に騙されるだけである。

山に行って思うのは、
私に奇人や丸山先生ほどの知識があれば、
あの美しい蝶が何かすぐにわかるのに…
あの鳥がなんという名前か知りたいのに、と思う。
(鳥に関しては随分絵を描いたので、
外観と名前くらいの知識はあるのに、
目が悪くて同定できない、使えない、本当に残念!)

知識があれば楽しさ倍増だし、
知識をうまく使えば雪だるま式に増えていく。
そして、愛する事も守る事もできるのだ。