移動の自由
気恥ずかしいような気分になるが、
自由ということをよく考える。
移動の自由というものを持つ人たちは、
ことごとく差別される。世界中でそうである。
移動する人たちはお上にとって、
管理しにくい嫌な奴らであるからだろう。
隷属という言葉通り奴隷とはお偉いひとに属している、
紐でくっついてるひとである。
紐付き達はなぜか偉そうに自由な人を蔑む。
それでも遊牧民も旅芸人も移動の自由をもとめる。
領域国家を認めないムスリムも。
一遍は三十歳を過ぎてから死ぬまで、15年ほどの間、
常に移動していた。
弟子達と念仏踊りをしながら布教する、
放浪のコジキ坊主であった。
本人も弟子達も旅の途上で死んでいった。
わが亡骸は野に捨て、獣に施すべしと言い残した。
私の理想である。
獣はできれば虎。
山に住む鳥や獣は尾根伝いに、
自由に動いているのだろう。
北アルプスから獣道を通って、
東北の方まで行けるのかなぁと、この前考えていた。
雨風と食料の調達、天敵、
それらの苦労は自由にもれなく付いてくるが。
せめて1年くらいの間、
ノマドをやってみるのはどうだろうかと考えたりする。
お遍路さんを全て歩くと1年くらいになるのではないか。
高群さんの本ではそのくらいかかったような。