「職人の近代」4
この本を読んで驚いた事の一つは鉄の話です。
日本刀の実物を、
美術館や博物館で見た事のある人は多いと思うが、
近くで見るとギラギラ綺麗で、切れそうって思うし、
意外に長く、ミネのがわは分厚くて、
重そうだなぁと感じます。
私の婆さんは短刀を持っていましたが、
ついこの間もそれを見たんだけど、
短くてもすごくずっしりしている。
普段私が使っている包丁なんかとは、
当然ながら全然違う別物です。
そんな刀を武士という人たちは全員が、
最低でも二、三振りは持っていたんだろう。
また日本では鉄製農具、鍬や鋤も、
比較的早い時代に普及したので、
農業の生産性があがったと本で読んだ事もある。
だから私はてっきり、
日本は鉄資源も豊富で製鉄技術も高く、
良い鉄がある国なのだとばかり思っていた。
しかし、砂鉄から作る玉鋼という国産の鋼は、
密度が低く不安定で、
ずいぶん手をかけないと良い刃物にならないらしい。
その点外国産の鉄鉱石から作る鋼は、高品質なのだそうだ。
是秀の師匠、石堂寿永はいち早く輸入鋼の質の高さに気づき、
弟子たちにも海外の鋼を使う事を勧める。
石堂も是秀も、刀鍛冶の家の出である。
明治になって廃刀令が敷かれ、
刀が不要になったため、道具鍛冶に転向した人である。
長年刀を作ってきた家柄であるにもかかわらず、
伝統的な玉鋼に対する信仰のようなものを引きずらず、
切り替えたあたり、理知的というか、合理的というか、
が、この師匠のいけてるところ。
この師あっての是日であろう。
実際には国産の玉鋼と輸入鋼を継いで使うらしい。
そう言えば私の昔使っていた包丁は、
ステンレスの真ん中にスエーデン鋼がサンドイッチされていた。
金属というものは、くっつけたり挟んだりが自由にでき、
完全に一体化できるものらしい。
私の理解は当然ながらちょっと間違ってるかもしれんが…