「職人の近代」2
道具というものは、
何かの用を担って使われるものである。
だから人間の作るものは、
ある意味全て道具と言えなくもない。
ただ道具が使われる仕事の種類は、
多様であり、それによって道具の性格も大きく変わるだろう。
大工道具の人生がシビアなのは、
次にこれを買って使う人が、
また職人であるという事だろう。
職人がこさえた鑿は大工さんなどの職人の手に渡る。
職人は道具一つで、
作業能率も体の疲れももちろん出来栄えも、
うんと違う事を知っているから、
その評価は現実的で厳しいものとならざるを得ない。
以前読んで大変面白く、このブログでも紹介した本に、
塩野米松の「失われた手仕事の思想」がある。
この本には様々な職人とその手仕事が出てくるが、
板材を挽く職人が出てきた。
長い一本の丸太を、縦に薄く切って、
何枚もの長い板材を作る。
鋸一本で一人で挽くのである。
この人は仕事中にも、鋸の目立てをする。
時間をかけて道具を研ぐのである。
これをしないと、仕事がはかどらないので、
手入れに時間をかける事は逆に能率を上げることになる。
電動の工具では熱を持つので、
板の表面が美しくならない、また木屑がたくさん出て、
一本から取れる板の枚数が減るとも言っていた。
刃物は力がかかるので本体が消耗し摩滅する。
だから使いながら研ぎ続ける必要がある。
買ってきたまんまの姿でいる事はできない。
これも大工道具の人生の宿命である。