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松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

また絵本のこと

絵本のことをまだ考えているんだけど、
いい絵本とはどんな本なのかは、
意外に説明が難しい

うちの子どもたちのことで、考えてみると、
ふとした時に大昔に読んだ絵本の事を覚えていたりして、
こっちがビックリする。
本全体のこともあるが、
ちょっとしたディテールの場合もある。
ディテールは絵の場合も文章の場合もある。
子どもは絵を舐めるように見るので、
ディテールは大事。
絵本の記憶というのは非常にひっそりとしたもので、
外見的な強烈な印象はない。
それでもしぶとく生き続ける。
子どもが大喜びしたとか、何か感想を述べたとかが、
心に響いた証拠には全くならない。
本当に響いたものを言語化するほど、
子どもは大人ではないし、
またそ必要性も感じていないだろう。

記憶に残るということは、
その時心のどこかに、
ピンと響くものがあったということだろう。
人間の心というのはかなり複雑なものだから、
響かせてもらうというきっかけがなければ、
自覚することもなく埋もれているのではないか。
そういう一つ一つは小さな感情の発露や自覚が、
人間の感覚や想像力の全体を、
大きく膨らませていくのではないか。
絵本や本が最重要かと言えばそんなことはなく、
山や海や動物や人との付き合いや遊びの経験の中で、
同様なことが起きるのだろう。
人間の実感の巾みたいなものは広ければ広いほどいい。
若い母親などはためになるということを良く気にするが、
彼らが思っているためは、多分あまり重要ではなく、
愚かな我々が考え及ばないようなところで、
何かがためになっている場合はあるのだろう。
絵本を読むことはそんな現世利益的な、
単純な話ではない。

テキストに関してはリズム感、聴き心地は大事だ。
子どもは口承文化無文字文明を生きている。
我々の先祖と同じように。
昔話の実力はそういう中で生き延びてきたというのが、
強みである。

こんなに哀れに汚れちまった私ではあるが、
絵本を読めば気持ち良くなる。
国会中継を見て感じるストレスの、
全く反対の作用である。
この世に絵本があって実にありがたい。