憂さ晴らし
よく日本は同調圧力の強い社会だ、と
言われるが、私は多分どこの社会にも、
これはあるんじゃないかと思う。
ただ程度の差というか、許容の幅の違いがあって、
それが結構重要なんじゃないか。
人間のような社会性のある動物は、
周りの人間との、容姿の違いや行動様式の違いが、
本人のストレスになる。
世の無頼派的な人一匹オオカミ的な人の話を読むと、
意外にも本人自身がそのことと常に葛藤し、
苦しんでいる様子がわかる。
社会の常識にとらわれず自由に振舞う事は、
かなりの辛いことで、そうせざるを得ない自分を、
持て余し気味な感じがする。
全然平気じゃなかったりする。
良い制度であれ悪しき習慣であれ、
人はそういう社会の仕組みにすごく影響を受けている。
これから完全に自由になることは、
不可能に近いのではないか。
強い人は何とか少しはできる。
そういう人を見て、その他大勢の弱い凡人は、
憂さ晴らしができるというわけではないか。
少なくとも私はそんな傾向があるように思う。
社会の迷惑と言われるようなはみ出し者や、
無意味に不恰好に自由に生きる人に、
すごく惹かれる部分がある。
若い頃から実はそんな傾向があったと、
最近思い当たる。