松井なつ代のやま

ステンシルのイラストや本の紹介、麹の話、そのたいろいろ。

「鬼の研究」2

「鬼の研究」は、主に今昔物語などから、
鬼が出てくる説話を拾って様々に考察しているわけだが、
鬼と呼ばれるものの背景は実に様々である。
大和朝廷が晴れがましく繁栄した影には、
その富の集中は影となる広い周縁部を作った。

土蜘蛛という能、歌舞伎があるが、
土蜘蛛というのは
中央におとなしく従属しなかった、
地方の先住民のことであるらしい。
古代の日本はあちこちにそれぞれの頭を頂いた、
小さな部族集団のような人たちがいたわけで、
それらを無理矢理にやっつけてきたのである。
そういう人たちの生き残りも、鬼と呼ばれた。
また古代的な価値観が廃れるとともに、
神に近いと考えられていた人たち、
神人などが周辺に追いやられていく。
盗賊の集団のようなものが、山を拠点に跋扈し、
やはり鬼と恐れられるが、
彼らの中に童形のもの、丸の付く名前のものが見られる。
これらはいずれも神聖の証がそのまま、差別の対象に、
落ちぶれて行った人たちである。
(網野善彦の本に詳しい)
また都の真ん中で繰り広げられる、
凄まじい政争において、じつはわかっていても、
語るに憚れるような事件も、鬼の仕業とされた。

とにかく激しく矛盾に満ちた世の中の、
様々な犯罪や事件などを、
一手に引き受けたのが鬼と呼ばれる人たちであった。
その背景を知れば知るほど、
好むと好まざるとに関わらず、
鬼と化してしまった人たちの、哀れが胸を打つ。

般若の面の出てくるもう一つの能に、
「黒塚」というのがある。
奥州安達ヶ原の粗末な一軒家に住む、
老婆が、旅の僧を泊める話である。
見てはいけないという閨に夥しい死体が…
という怪奇ものっぽい話だが、
前段の老婆の糸繰り歌の美しい晴れがましい調べに、
彼女の過去が偲ばれる。
そして現在の決定的に希望のない孤独感、
社会と完全に切れた苦しい暮らしの恨みごと。
それらの謡をきいていると、
何というかこの今の時代に、
まさに鬼と化しつつある人たちが、
実は日本中の安達ヶ原にいるのではないかという、
恐怖が哀しさが惻々と胸に湧いてくる。
黒塚がここまで心にしみるとは思ってもみなかった。